山の世界

サクッと比叡山まで登山を。東塔・西塔・横川中塔の三塔を制覇。延べ10数キロぐらいの散歩。比叡山ってこれで4度目か5度目だけど、いつも思うこと。

  • 「信長公は随分過激なことをしたもんだ」
  • 「延暦寺東塔手前の最後の坂道は意図的に急勾配にしているのではないか」

昔の一部の寺は、それ自体が城塞の役割を果たしていたのではないかという意味が、山道を歩くとよくわかる。

今回の延暦寺、京都でいえば知恩院、その他「山城」に例えられる寺はけっこうある。歩いてみると、よくこんなところを攻めたもんだと思う。延暦寺もある程度整備されているとはいえ、当時はもっと登りにくいはず。しかも最後の何百メートルかは、目を疑うようなこう配。最後の最後でこのこう配はキツイし、かといって歩いてきたルートでは、寺へつながる入り口は一つ。周囲を見回すと、石垣や土壁だらけ。だから非常に攻めにくい。寺も研究すると色々おもしろいことがあるよね。山もしかり。

例えば、今日見かけた看板に、「山菜をとるのはやめましょう。所有者の方や山里の方がこまります」みたいな文言があった。この山里の方って、意識して書いてある(看板が比較的あたらしい)のかわからんけど、昔(一説では昭和初期ぐらいまで)「山窩(サンカ)」と呼ばれる山で生業をたてている民がいてたといわれているねんね。江戸時代では、士農工商制度にあてはまらない人で、花柳界や忍びやその他もろもろの人々で、「お上は天皇で、自由人的な人」かな。「山窩」は山で生活していたから、当然山菜も採取していはず。だから思わずそういう意味もあるのかなぁと考えてしまった。

ついでに蛇足。京都の柳の馬場や吉原の見返り柳など日本の遊郭には柳がシンボルマークの役割をはたしてるやんね。これはももとも遊郭に携わった人々が、朝鮮から渡来人系の文化を引き継いでいるためで、朝鮮では「遊里(ピンカリー)」って呼ばれたはず。そこは柳がシンボルマークだったからと聞いてます。吉原も色々研究するととても興味深い発見があるし。

その他山については一杯一杯不思議なことがあるんよ。四国の剣山は登ればわかるけど、あえて積極的に整備していない手つかずの山の印象があるし、同じく天竜川付近もそう。このあたりは江戸時代の歴史と文化に興味のある方はご存知かと。

かなり脱線しましたが、何よりよかったのが普段に耳にしない音がかなり聞けたこと。鳥の鳴き声、虫の音、動物や虫が草木にふれる音などなど。あらためて自分が喧噪な場所で生活をしていることがよくわかった。


『幻の漂泊民・サンカ (文春文庫)』 沖浦 和光