判断するのは自分

どうやらジャカルタで9日に再会できるようになられたようですね。おめでとうございます。これから幾多の障害があるとはいえ、家族が一緒になることは何よりも代え難いものではないかと。それに娘さんの誕生日を会って祝えるのであれば、喜びもひとしおでないかと勝手に推測しています。

報道機関によっては、ことさら「投票日2日前」を強調しているようですが、政府の意図をどのように判断するかは自分ですよね。ちなみに私は投票にいって意思表示をする考え方ですが。

判断といえば、中学から高校まで日記をつけていましたが、いまだに気になる自分の文章があります。

高校のとき、「無知の知」という言葉を先生に教えてもらった時に書いたようです。

「無知の知」の自覚。「知らない」とは怖く寂しい。「知る」ことで新しい世界が目の前に広がる。そしてその世界を表現する言葉が次々と創造される。言葉が生まれると考える。実行する。経験になる。そして基準が生まれる。基準が形成されたとき、自分で判断ができるようになる。

う〜ん、過去に自分はこんなことを考えていたのかと思います。そしてまだまだ判断できないことが多いなぁと。今回の件も、判断するには知らないこと、わからないことが多いようです。

ついでにこんなことも言われました。

「過去にこだわれば未来を失い、過去を否定すれば現在をも失う」

まだ自分には難しいです。