diary

言葉を失う自分

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話ができなくなっているような気がする。言葉が頭にでてけえへん。なんでや?かなり重症やな。自覚できる分よけいにマズイ。

何が以前と違うんや?

思うに、以前はただしゃべっているだけ。自分が何かで得た知識を「説明」しているだけ。そこには、相手の理解度を把握する意志はある。せやけど、相手が自分に伝えたいことを理解する意志はない。完全な一方通行。

ところが相手が自分に伝えたいことを理解するために、言葉を発しようとするとデナイ。発したい問いの心像化はおぼろげながらできるんや。何がデキナイか?的確な「言葉」がワカラン。語彙の問題か?あまりに稚拙な言葉しか思い浮かばん。

「本当に伝えたいことを相手から引き出せる、核心をついた、一言集約した、情熱のある問い」

さらに思う。知れば知る程二者択一することの恐怖。なぜ、YesかNoになるのか?なぜ、決めたがるのか?見当違いなバカな例えと重々承知して、あえて例えてみる。「隻手の音声」の公案に対して、常識ならNoやけど、本当にNoでええかなぁって思う。そもそも公案にNoなんてないんやろうけどなぁ。

続いて思う。自分の考えが多様化していく過程では、言葉で構成される「会話」は抽象的でやないかと。だから伝わらないし、自分の言葉で発することも、問いかけることもでけへん。早く「自分の言葉」を持ちたい。

多様化していく自分をどうコントロールすべきか?誰に出会えれば、何を行動すれば、何を感じればええやろう?

全ての瞬間は一期一会。その中で自分はどう”ゆらぐ”?

『「思い」と「言葉」と「身体」は密接につながっている』 マシュー バド, ラリー ロスシュタイン, パッチ アダムス

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