なんでシャンスーじゃなくてリンプー?

昔シャンプーとリンスが一緒になった、「リンプー」ってあったの知ってはります?たぶん30代以上の方はご存じかと。この「リンプー」、なんで「シャンスー」やないんや?って不思議に思ったことありません?

「普通、シャンプーをしてからリンスやから、洗う順番のイメージからネーミングすると、シャンスーやないか?」って疑問。

ナンデこんなバカげたこと考えたかってえと、高校の時、国語の先生が授業中に、上の質問をしたからいまだに頭に残ってた。まぁ、直接メーカーに聞いたわけでもないから正確な答えは不明。ゴロとか響きがイイからかもしれけどね。

一応みんなで調べた結果、「シャンスー」の場合、「しゃんす」は、「想思」の唐音で長崎の方言。意味は、恋人やけどひらたく言えば、情人。別の意味で、「しゃんす」は、軽い尊敬を表し、主に女性が使う助詞。ただこちらも女性といっても、おもに吉原で使われた「ありんす言葉」に近いのやなかろうかと。

吉原と長崎、もうピンとこられた方がいてはると思うけど、三大遊郭のうちの二つがあるところ。
なんで、「チョットいろいろと微妙な背景があるからやないか」という結論に、当時落ち着いた。でも実際のとこどうなんやろうね?

いいやない、「シャンスー」でも。なんかこう「情のある響き」で。あっ、でも今はもう販売すらされてないのかもしれん。

ちなみこの先生、東大の文学部出身で、強烈な授業やった記憶が。もう高校生の私にはチンプンカンブン。夏目漱石の「こころ」の授業で、「K(でしたっけ?)が、自殺する場面では部屋のフスマが開いています。今までこのフスマは何回(5回?だったような…)か登場しています。しかし、この場面で初めてフスマが開いています。なぜでしょうか?」とか、「この作品は、全部で段落が○○段(正確な数字を述べてた)あります。ウンヌンカンヌン」とか。

さらに古文も原文で読まされて、おまけに訳ナシで、歴史的背景をふまえて授業するからマイッタ。まぁおかげで、原文で読む大切さがちょとわかったり、歴史が好きなったから感謝。今はどうしてるかなぁ、もうたぶん定年やろうけど。今から考えると、スゴイ先生だと感慨。まぁ、そんなモンでしょ!?高校時代の先生の思い出は。