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「かぶき者」と言われるには

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「傾き物」「傾奇者」とも。動詞になると「傾く」、形容詞は「傾いた」。辞書で引くと、

「異様な風体をして大道を横行する者。軽佻浮薄な遊侠者。伊達者」(広辞苑第二版補訂版)

ちょっとニュアンスが違うような気もする。まぁいい。ようは、

傾奇者は粗暴で稚拙なヤツじゃなくて、時代文化の先端をゆき、田夫野人とは全く違う生きもの。内面は繊細な美意識を育てている反面、外見は異様な風体。だから他人から変な目で見られる。それが痛快。

一夢庵風流記 (新潮文庫)

なんでそんな生き方ができるの?って思ったのがきっかけ。「自分の生き方を支える屋台骨に絶対の自信を持っている」のかなぁと。

教養、知識、礼儀作法、喧嘩力、判断力、勇気…etc

これらすべてに「一流」を身にまとう。それが彼らの「自信」につながっているのだと思う。じゃぁ自分はどう? もちろん何一つ「一流」になっていない。自信なんて微塵も。だからどんどん丸くなる。当たり障りのようないようになってしまう。

でもやっぱりイヤやな。もっと「傾き」たいわ。今からでも遅くない。何か一つ、「一流」になることからはじめてみよう。で、「一流」の幅を自分なりに広げられたらね。

そしたら、「武者震いするような内側から匂いたつ雅な」ヤツになれるかな。

ちょっと長文で紹介(『一夢庵風流記』)。

「傾奇者」で有名人は、織田信長、水野十郎左衛門などなど。中でも安土桃山時代から江戸時代にかけて当代随一と言われたのが前田慶次郎利益(以下慶次郎)。

この慶次郎が、諸般の事情でイヤイヤながらも時の天下人太閤秀吉と対面するはめに。その対面のエピソードが痛快。

居並ぶ大名と御前には秀吉という状況で、慶次郎は虎の皮の裃で、髪の毛を片方に思いっきり片寄せて、髷を横に曲がって立たせたんやね。秀吉と対面し、慶次郎は平伏するとき、畳に額をつけず、顔を90度横に向けて頭だけお辞儀した。

すると、そこで髷の意味が初めてわかる。

「横に向いていた髷がまっすぐ秀吉の方を向き、顔は横を向いている。だから、秀吉への平伏なんぞ髷で十分(俺の顔はプイと大名の方を向いてるよ、文句あっか)」って、解釈ができる。

さらにその後、なんと秀吉の御前で「猿おどり」をやらかす。そしてさんざん「傾いた」あげく、ついに秀吉から「大儀であった」と座を下げられる。

そして、褒美をとらせるのを忘れた秀吉は、慶次郎を呼び戻そうとするが、伝えの者から「半刻後に出頭致すとお伝えあれ」とのこと。きっちり半刻の後に現れた慶次郎の姿に、秀吉と大名は瞠目する。『可観小説』にあるこのくだりを引用すると

『今度は成程くみたる程に勤代に作り、髪をも常に結直し、上下衣服等迄平生に改め、御前へ出で御馬を拝領し、前後進退度に当り、見事なる体也』

きちんと礼儀を守った、げにも床しい武者ぶりで感嘆している雰囲気が伝わってくる。古典はおろか古今の典礼にも通じ、諸芸能まで極めたと噂される当代希有の教養人の姿。

これが「傾奇者」。

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