複式簿記は哲学

以前、ある税理士の先生の一言にムーブドされた。

—–「複式簿記は、哲学である」

仕訳

なるほど。その一言に目からウロコの痛快さがあった。どういうことかというと、「借方は、『現象実体』。貸方は、『本質』。そして借方と貸方が一致する(バランスがとれた)事実である」という。哲学に精通されている方には無学をさらけだした厚顔無恥にご勘弁を。

それまでPCに映し出される貸借対象表をなめまわしては、その残高が合っているかが気になり、単なる数字以外なにも感じなかった。

ところが冒頭の一言にふれてから、豹変した。例えば、上の図。簿記を知っている方からはハリ倒されそうな「仕訳」。

コレ、貸方を隠してみるとどうなるか?「ほぉ、目の前に現金という実体があるのか?しかしこの現金はどこから生み出されたんだ?」って。で、貸方をみると、「ナンダ、借りたのか」になる。これが売上なら:-@ってか。

言わんとすることがわかってきて決算書を眺めると、今までの無機質な数字の集団が、ハーモニーただよう有機質なストーリーに化ける。仮に「資産を隠して、負債と資本を見る」とする。”負債と資本”から導き出される資産は何かを予想し、「現象実体」として考察するとよーくわかる。その逆もまた然り。

決算書がわかると経営戦略や現場の動向、市場でのポジションや世間とのズレなんかが気になりだして背筋がゾクゾクしてくる。

エー、んなバカな的例でいうと、借入金(負債)1000万という決算書がある。「なるほど、んじゃこの借入金(本質)に対する現象は何か?設備投資か?ファイナンスか?はたまた経費か?」

フト手をのけると資産が500万。何ですとォ、残りの500万円はP/Lか?開かずの扉をドキドキ開けるようにP/Lを拝顔すると、ア、アゥ、見てはいかんかった。結果、資本△500万円。資金繰りで窮しているのか…..。無茶苦茶な例ですな、ハイ。

「現金 100 / 借入金 100」という複式簿記から紡ぎ出されるかくも不思議な決算書。他者を欺くこともできれば、事実を語ることもある。さらに「簿外」なんてエキセントリックなやつもいる。

いわんや決算書からは何も見えない真実もある。