株主切込隊長の怒りの料理を堪能した

切込隊長の怒りの料理を堪能した。

どうもソニーがおかしい。スゴ録は売れば売るほど赤字になる商品と囁かれ、飛ぶように売れているという。さらに久多良木SCE社長が、「三菱自動車」を彷彿させるコメントをしている。

ソニー凋落のさまに対して、株主が失望している。あの切込隊長である。よほどのことであろう。感情論ではない株主の至極もっともな主張だと賛同した。

ほかにも実名こそ伏せているが、一読すればソニーであることが明白なエントリーもある。

これら薀蓄を含んだエントリーを青田で読めるのがブログの真骨頂だと思う。

ブログとは別に、今期と来年の決算報告をうけて、近い将来「ソニー凋落」に関連した分析がレポートされるだろう。一騎当千の識者が力説するレポートは、経営学全般を網羅する経営用語がちりばめられ、最新のカタカナ用語経営手法も散見するかもしれない。さらに「過去の成功体験への埋没」といったステレオタイプな言葉も拝読できるはずだ。

しかし、過去の経験からしてどれをとってしても何かオイシクない。味オンチの自分が食べる前にノーガキたれるのは眉唾ものだか、満足できない。まんざらでもないが、何か味付けに違和感が残る。心底おいしいと感じる料理は少ないのかもしれない。

ところが、切込隊長はすでにソニーを料理してくれた。まだ客観的指標となる財務諸表や市場のデータが不足している状態でもだ。新聞ではまともに報道されず、かえってどこぞの企業と合弁しただの、どこぞの企業のライセンスを供給してもらえるだのと煽って、株式市場を鉄火場にしようとしている。

なぜ切込隊長は、「料理」にこれほどまで堪能しているのだろうか?

私見ながら、やはり彼がバーク主義たるゆえんと分析している。エントリーを読んでも承知のように、特段何か気の利いた新しいスパイスをふりかけているわけでもない。

当たり前のことを論理的かつ平易に述べている。しかし、一流の素材をこれだけシンプルに料理してくれる腕前を持っている人は少ないのではないか。その料理工程には、過去の膨大な企業行動と経営者の意志決定を洞察しつづけ、分析してきたからこそでてくる「隠し味」がある。

それでは過去の識者と同じ事を言っているのかというと、これも違う。

いまやマスメディアで展開し確立されてきたブランドは、それが消費者(民衆)にとって主な購買の動機にはならなくなっている。これは十年以上前から組織の中で繰り返し指摘されてきたことであり、私もその可能性が高いと思っている。

と、書いてあるとおり、ルールが変わっていることを土台にして理論構築している。しかも10年前からすでに変わっているルールなのに、何を今さらあわてふためいているのだと。

このルールの変化をいち早く察知し、竹を割ったような解説をできるから、切込隊長の素晴らしい料理を堪能できる。そして、ルールの変化に対応するためのデザートまでだしている。いたせりつくせりだ。何も最先端の経営手法を駆使したり、合弁や合併という美人に見せるための化粧をするのではない。

先人たちが実践したなかから得られた「料理のさしすせそ」を、自分たちの台所事情にあわせて使えということである。

「料理のさしすせそ」を使えないのは、経営者のプライドが災いしているだけだ。自分が作った料理を誰も食べてくれなければ、本末転倒である。そして、「ソニーを食べたい」というお客がいるのに、料理をだせないのも悲劇である。まぁ、あれほどのお店がたたむことはあるまいが。

「革新」という甘き可能性に浸らせてくれる、デイトレーダーが株価をつり上げてくれる「言葉」が経営者の意志決定を浸食しているのだろうか。経営者は株主である切込隊長の料理を楽しめいないかもしれない。しかし、切込隊長と違い「革新」というスパイスの使いどころをまちがっている気がしてならない。

私は切込隊長の「料理」に舌鼓をうった。

惜しむらくは、それに見合うだけの「酒」を自分が用意できていなかったことだ。これだけは、自分で探しに行くとしよう。そこまで甘えてはなるまい。