せめて一時間ぐらい静かに過ごすのもいい

「優しい時間」にハマッタ。せわしない毎日をすごすなかで、せめて週に一度、現実と仮想の狭間をさまよいながら小一時間ほど静かに過ごせるのが心地よい。

当節流行のドラマ製作は話題性のある役者を最初に決定し、その後でヒットした漫画や小説を原作として採用している。各局それぞれの台所事情があるだろうし、素人がその制作手法に賛否を論じることなどできん。

が、「優しい時間」は、その制作手法と異なる。最初に「脚本」が存在し、次に脚本家の想いを実現できる役者を選択していると思う。制作発表当時は、「北の国から」と同じような雰囲気かなぁと思っていた。コクってしまえば、「北の国から」を一度も見たことがなかったので、スルーしてた。

そうこうしているうち、ナニカの拍子に第一回目の放送を見て、セリフが少ないのに驚いた。セリフが少ない分、役者の表情と映像に集中できるなんぞ久しぶり。50歳超えた健さんの映画を見ているような。

さらに役者が自然体に近い。演じているのを忘れさせてくれる。妄想癖があれば過去・現在・未来の自分にオーバーラップさせてくれる(笑)。

大竹しのぶは今さら言うまでもないし、寺尾聰は円熟味が加わっている。"半落ち"を見たい衝動にかられた。二宮和也と長澤まさみは、上二人の世代と対比した「大人になりかけ」がでているような感じでうらやんでしまう。サブキャストもいい薬味。

特に二宮クンの演技に、毎度喝采をあびせる。舞台関係者の評価を前から読んでいたけど、現物を見て納得。長澤サンとの気持ちいい間合いに食い入るようにブラウン管をみる。時にはゆっくり、時には慌てて。時には照れくさく。二人がセリフを吐くときの呼吸がひとつになっていくようにイリュードされる。

そして、ドラマの本筋とは別にサブストーリーも用意されている。サブストーリーには、毎回違う役者がゲスト出演する。サブストーリーは一回完結だけど、余韻にひたれる。以下、引用。見てない人には全く意味不明ですみません。

「あなたは彼女に謝りたいとおっしゃる。でもそれは、彼女の為なのですか?あなたの為なのですか?」
「確かに私は、自分のために謝らせてくれと言っているのかもしれません。」
「ですが、これだけは言ってもらえますか?
結果としては僕は逃げてしまったけど、あのころ僕は真剣でした。本気で彼女に恋をしていました。それだけです。」

"謝る"ことひとつとっても、「自分の為なのか相手の為なのか」と問われている。当たり前のことを少し忘れていた自分を恥じた。

歳を重ねるごとに「テレビ」を見る時間が減り、活字中毒になっていく。そんな日常に少し「テレビ」を見る楽しみができた。シリーズ化されようがされまいが、まずはワンクールの間、ミルでひいたコーヒーを飲みながら静かな時を楽しもう。