納税意識と国への依存

らーさんのコリアン・ザ・サード経由で鄭香均さんのこの発言にからんで、「納税意識と国への依存の関係」について少し考えてみました。

「裁判には負けましたが、次に続く人たちのためにも明日都庁へ行って、私はもう税金を払いたくないと言います」

先日の最高裁の判決に不満で感情的になっておられるのかもしれませんが、ご自身の今の言動が電波にのって報道され、何らかの影響を与えるお立場からすると、「税金を払いたくない」という引用の発言は軽はずみだと苦言を呈したいです。

以前、会計事務所に勤務していたときに、同様の趣旨の意見を個人事業主、同族経営者(法人はある意味理解できるのですが…..)、サラリーマンから聞くことがありました。そのたび疑問に思い、納得できなかったことがあります。それが、「納税意識と国への依存の関係」です。

「税金は払わないが、社会保障を国に依存する。あるいは公共施設や公共サービスに不満がある」

私見ながら税金が果たす役割は、二つあると考えています。

  1. 運用資金の調達
  2. 所得の再分配

資金調達は、文字どおり国が存続していくための運用コストを国民から調達します。上場企業が株式市場から資金調達するのと違い、「強制的に調達できる」という特徴があります。

所得の再分配は、応能負担原則のもと担税力の高い所得者から税金を徴収し、公共施設やサービスに変換する役割を果たしています。この役割が機能しているから居住している人(国籍にかかわらず)は、公共のインフラやサービスを利用できます。

特に、社会主義的な税制を構築してきた日本は、所得の再分配を納税者に意識させることなく浸透させてきました。成功要因はいくつかありますが、個人に関する税についてあげれば、「累進税率の高い所得税」と「税率の高い相続税」です。何に対して「高い」かは、調べてもらえればすぐにわかるはずです。

結果どうなったのでしょうか?

「人口の所得上位6%の人が、税金の40%を払っている。さらにサラリーマンの約30%は所得税を全く払っていない。」

という状況です。おそくら個人事業主を含めれば、もっと増えると思います。「公平」という目的を含んだ所得の再分配の結果を、私はかなり異常だと受け止めています。

そんな状況下、奇妙な論理が成立しました。税金を全く納税していない人の「社会保障をなんとかしてほしい。公共サービスを受けたい。」という論理です。

普通に考えればおかしいと気づきませんか?現に政治家も気づいてはいるものの、国民の3割(個人事業主を加えるとどうなるか?)を敵に回しては、当選できるかどうかわからないから何も言えないというところが本音ではないかと邪推しています。

私も個人事業主であり、納税を可能な限り少なくしたいと思っています。それでも納税に対して抵抗感はありません。それは、所得の再分配を考え、自分も公的サービスを享受しているからです。

現行の税制に欠陥があることは承知しています。しかし、いかなる理由があれその国に居住している限りは、「納税意識」を忘れてはいけないと、私は思います。

—–閑話休題—–
現行の税制の欠陥!?にからめて「寄付金控除」について、いずれふれてみたいですね。所得税に対する個人的見解としては、「各種控除を排除して簡素化し、課税最低所得を100万円程度に設定し、最低課税税率を5%〜7%程度に下げるべき」っといったところでしょうか。さらに「累進課税率を見直して、一段と下げ、高額所得者への配慮をする」べきとも。

ただしこれに関しては、税収不足よる財源を国債に依存せずに、国を維持するコストをまかなえるかどうか明答できないため戯れ言に近いかも(笑)。このあたりは、自分がバーキアンなのかリバタリアンなのかもう少し学ばないと答えがでないのが情けないところ(泣
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今回の鄭さんの件は、Blogのいたるところで話題にのぼっています。経由先のらーさんのコリアン・ザ・サードを読むたびに考えさせられます。また、各人の方のコメントも一読の価値があります(一部のコメントを除く)。らーさんに反対する意見を書いているリンク先のBlogも参考になります。

最高裁の判決に対して是か非かと問われると、今の私は直感的な是であるとしか言えません。あくまで判決文を読んでの感想です。それ以外で判断を形成する基準をもっていないため、歴史的・文化的背景を含めた視点は目下勉強中です。

しかし、それでもあえて例示して苦言を呈したのは、「公務員の一部権利を否認された問題」と「税金の問題」を混同してはならないという点です。これは鄭さんだけでなく、私自身への自戒も含めて考えてみました。