私たちに何ができるのでしょうか?

内田教授の「原因」という物語を経由して「学校を責めるメディアと親たち」を拝読した。

両先生とも先日の寝屋川市立中央小教員殺傷事件をとりあげられている。小学校の対応に親御さんが不満を言っている姿とそれを報じるマスコミについて言及している。今回の一連の報道に釈然としなかった重しをとりのぜいてくれるような感じがした。

で、とりとめなく書いてみた。

"命題"はわかっていたが、それを自問自答できるだけの力がなかったのでいつまでも暗鬱な気持ちだった。

「なぜ、学校が悪いと親が不満を言い、マスコミもそればかりを報じるのか?」と言う点。

自分には子供がいないので、我が子を預ける親の気持ちは肌で感じることはできない。京阪でここ数年発生している学校での殺傷事件やソフトターゲットへの犯罪を考えると、「何とかしろ!」という気持ちがあるのかもしれない。

しかし、この手の報道を見ていていつも思うことだが、「私たちに何ができるのか?」ということ。芸がないのを承知でケネディ元大統領から拝借すると、

国が自分たちのために何をしてくれるのかではなくて、自分たちが国のために何ができるのか考えてほしい

であり、「国」を学校や社会など各々の対象物に置き換えて考えてしまう。

統計学的・社会学的にも犯罪が増加!?していようが、凶悪化していようが減少に成功している鹿児島市の例もある。以前、NHKでも特集をしていたいし、それについてまとめてあるものもあるので参照してもらえればと。

レアケースだと一笑に付すこともできる。今回の親御さんたちはこの取り組みをご存じなのだろうか?

自治体と市民が「何ができるか?」を考え、隣近所の子供が誰かをきちんと把握し、まずは声をかける挨拶からはじめた。いまでは当たり前とはいえない行為から第一歩を踏んだ。そして市民が各種パトロールへと発展させていった。

昨日だったか江東区は、警察とスクラムを組んで区内の学校のパトロールをさせることを決定した。学校周辺ではなく学校内。賛否両論もあるだろう。金八先生の「腐ったみかんシリーズ」をリアルタイムで見ていて感動した自分は、「学校に警察をいれることはできない! 」という坂本先生の言葉が頭をよぎるが…..。

何でも批評的立場で報ずればマジョリティのYesの反応が期待できるなんて、学識才幹優れた記者が考えているのだろうか?鈴木先生のコメントはマイノリティなのだろうか?それに今回も、「何ができるのでしょうか?」と切実に問いかける親御さんもいらっしゃると思う。なぜ報じられないのだろう?

こうやってグダグダとノーガキをたれることが、すでに自家中毒だとわかりつつも、「もういいかげん依存することと自立することの平衡感覚を身につけないもんか」と自戒してみた。

手段として道具は有効でも、細心の注意を払っていても未然に防ぐことができるものとできないものがある。

非難を浴びることを承知で例えると、「ウィルス感染した初心者PC」のようだ。『感染したものは仕方がない。それよりも次からどうするのか?迅速な復旧体制の構築にはどうするのか?を調べて実践してみたほうがいい』といつもアドバイスする。

それでも、また感染する人もいれば、バックアップとリカバリーで助かる人もいる。前者は、「ウィルスを作る人間がムカつく」とだけ言い、後者は「セキュリティソフト+バックアップ+リカバリーのベストな方法を実践した」と言う。

先人の知恵を学び、何ができるかを考えて試行錯誤していくことをわたしは忘れたくない。