[Review]: 情報の目利きになる

情報の「目利き」になる!―メディア・リテラシーを高めるQ&A (ちくま新書)

『情報の「目利き」になる!―メディア・リテラシーを高めるQ&A (ちくま新書)』 日垣 隆

「メディア・リテラシー」論。筆者は1週間に6,7本の映画と40時間ほどテレビを視て、本を30冊ほど読むのこと。

元来「メディア・リテラシー」は社会学・教育学者で使用されてきた。近年、一般社会へ浸透しつつある。ブログが登場して視線を集めたり。筆者はメディア・リテラシーへの注目度が高まる風潮に対して「メディア・リテラシーとは何か?」を開陳。、社会人の教育的テーマという視点から。

■本書の全体構成

  • はじめに
  • メディア・リテラシー基礎編
  • メディア・リテラシー発信編
  • メディア・リテラシー懐疑編
  • メディア・リテラシー激闘編
  • メディア・リテラシー応用編
  • おわりに

“はじめに”の部分は「メディア・リテラシー」の定義。もともとリテラシーとは「識字」のことをいい、「読み書き能力」を指している。著書でいうメディア・リテラシーとは、「情報の目利きになること」と定義。「情報の目利き気になる」過程で

  • 偏った情報を見抜けるようになる
  • 騙されない
  • 自分をできるだけ客観的に見るようになれる
  • 読書や調査が効率的になる
  • 考えながら書く

といった変化が。

ところで、「リテラシー」を国語辞典で調べてみる。

リテラシー[literacy]
1.読み書き能力(の程度)。2.その時代を生きるために最低限必要とされる、素養。昔は、読み・書き・そろばんだったが、現代では情報機器を使いこなす能力だとされる。
引用:三省堂『新明解 国語辞典 第六版』 p.1562

昨今、「コンピューター・リテラシー」とやらも。2.の意味が転じているのでしょうね。

本題にもどすと、基礎編から応用編はそれぞれ4話ずつ合計20話から構成されている。読者からの質問に筆者が回答する形式。1質問につき1話。ただし、筆者が「情報の目利きになる」という視点から選択した質問のせいか、各質問に前後の脈絡なし。

例えば基礎編の質問項目は

  1. 自己紹介は難しい
  2. 読書量を増やすには
  3. 集中力を養う方法
  4. 詐欺に遭わない!

です。以下、基礎編から応用編まで自分なりに咀嚼して要点をまとめてみます。

メディア・リテラシー基礎編
  1. 自分を他者の視線で見つめる作業をする
  2. 仮説をたてたアウトプットを前提にインプットする
  3. 騙されずないための知恵をつける
メディア・リテラシー発信編
  1. 個人サイトの情報発信は自分に必要なデータベースを構築する
  2. 「書く」と「考える」の相関関係が多岐にわたる自問自答を反芻させる
  3. 「知る」から「熟知する」に変化し、その向こうに「創造」が誕生する
メディア・リテラシー懐疑編
  1. 過去の歴史から鑑み、現在の制度や体制に懐疑をいだく
  2. ニュースやトレンドの信憑性を検証するため、多角的識見や科学的感性を習得する
  3. ドラマの脚本を疑うための鑑識眼を養う
メディア・リテラシー激闘編
  1. 既存概念を打破する信念と主張を裏付けるために研鑽を積む
  2. 業界特有の慣習に”常識”をもちこむ
  3. 毅然とした態度で仕事の正当な対価を主張する
メディア・リテラシー応用編
  1. 徹底的な調査の根底にあるものは、日々何かに驚き、感動し、不思議がる
  2. 問題にどのように関心をもち、どう考えているかを相手に認知させる
  3. 評価力は、自分の土俵で読む読書量に比例する

「情報の目利き」になるための視点と自修方法を示唆。「書く」ことを生業にしている著者の「”読み”と”書き”」への執着と体験談。なのでそっち方面に興味を持つ方には吉。

読了した主観的感想、メディア・リテラシーを磨くには「書く」ことが大切。あら当然か。「書く」ことが「考える」ことに重なり、何かを調べたりするための「読む」や「聞く」につながるのではないかと。

さらに「考える」ことは、日々の生活に自己の存在を相対的におき、五感を可能な限り働かせて感受して、疑問を発見していく過程にメディア・リテラシーの根幹が形成されているように思う。

今後もメディア・リテラシーが専門職のみならず社会人に膾炙するだろうなぁ、が結論。

【追伸】

この著者をググると、各方面からの舌鋒するどい批判(著者自身もふれていますが)のページが見つかります。”なぜか?”は、一読していただくと見当がつきます。以下、私なりにのまとめ。

『自分の関心事を比較的単発で著書にしている点、立花隆さんと同じニオイがする。ゆえに、専門家や該当分野に造詣の深い作家からすると議論したくなる。ところが、論点のずらしかたでは著者にかなわないから議論にならず、批判する』

「知」に対してゼネラリストかスペシャリストか、「研究-結論」か「探求-納得」かによって立ち位置が違うから何とも言えないですネ。私ごとき傍観者は、両者に感服するのみです。