医療消費者と医師についての愚考#1

病気の治療方針を決定する際の理想として、約9割の医療消費者が「複数の治療方法を説明されることを望む」という調査結果が、医薬産業政策研究所政策研ニュースなかで、先頃発表された(発表資料:PDFファイル)。

調査時期は2004年11月から12月で、対象者は医師と医療消費者(一般生活者)。有効回答数は、医師が1,101人、医療消費者が1,134人。また医師については、関東・中部・近畿の病院勤務臨床医(できれば外科・内科1名ずつ計2名)が対象となっている。

詳細は同資料を読んでいただくとして、要約を下図にまとめてみた。

ギャップ

[2005.03.30 加筆・修正]

医師と医療消費者とにある認識のギャップがおわかりいただけると思う。この調査結果を見て、「とてもまともな数値」だと率直に感じた。そこで、この調査結果を歯科医(以下、先生)と医療消費者(以下、来院者)に置換した考察にチャレンジしてみようかと。自分の思考を整理する意味からとはいえ、無謀だなぁとビビッてますが(笑)。

その前提として、同調査の「まとめ」の部分が指摘している2点を扱ってすすめてみる。理由は、自分には新しい視点から問題提議する能力がないので(泣)。

このギャップをどう埋めるかについて「まとめ」は、以下の2点をあげている。

  1. 医療消費者と医師との間で双方向の情報が流れるようにコミュニケーションを高めること
  2. 医療消費者自身も積極的に情報収集を行い、ヘルスリテラシー(医療を理解する能力)をさらに高めることが望まれる

まず、1.のコミュニケーションを高めるについて、先生側の課題としてとらえてみた。なぜなら、昨今、コミュニケーションができない先生が増えている傾向から、文部科学省が「全人的教育」を目的としたカリキュラム改革をおこなっているという記事を目にしたから。

(文部科学省の意図が奈辺にあるのか僕にはわからないけど、そんなに増えているのかなぁっていう懐疑を個人的に抱いている)

さて話を進める前に、個人的な違和感を確認しておこう。俗に「コミュニケーションを高める」と提示されて、いまいちしっくりこないのはなぜだろうか?それは、「コミュニケーション」を、「何を(=what)」と「どのように(=How)」に対して定義するのかが難しいからだと思う。

では、今回のケースでいえばどうだろうか?独断だけど、「何を?」に"情報"を、「どのように?」の部分に"修養"をあてはめた。

まず、「情報」について。歯科医療が提供する情報を二つにわけてみた。一つは、"治療に従属した情報"で、二つめは、"治療から独立した情報"。前者の情報の中身とは、もっぱら専門的情報だったり、医学的な知識や経験、知見をさしている。来院者からみた場合、治療してもらってついてくる情報といったところ。

一方、後者は、来院者が「自己決定」するための素材的要素を含んだ情報といえ、例えば

  • どれぐらいの費用か?
  • 治療するリスクに対するリターンは?
  • 治療中の生活にどの程度の支障があるのか?
  • 治療後の生活にどのような変化がうまれるのか?

のようなもの。乱暴に括ってしまえば、QOLに関する内容としてまとめられる(以下、QOL情報)。

二つを比較したとき、来院者はどちらの情報をより多く必要としているのだろう?客観的データをもってないうえ、自分の経験値と見聞の範囲内になるが、やはり後者でないかと推測している。当然、時と場合によりけりをふまえてですが。

そこで、情報を治療から独立させてみたらどうなるか?

来院者からすると、治療してもらって情報がついてくるのではなく、まずはじめに情報に接触し、そのなかから治療の是非を必要に応じて判断する。

そうすると、先生は専門的情報の伝達を目的とした項目の収集もさることながら、QOL情報の伝達を目的とした事柄を傾聴しないといけない。だから、治療に従属した情報とQOL情報を的確に操作できる能力が、先生に必要になる。言いかえると、各来院者の生活背景や治療状態に応じて、二つの情報を伝えたり、聞いたりする力。

また、これからは蓄積された両者の情報を一般化して、紙やインターネットといった媒体にのせて「独立」させる動きも加速していく。ヘルスリテラシーが高い来院者は、関心のある情報を事前に獲得できるし、先生は来院後の双方向性の密度が高くなると期待できる。

つまり、「治療に従属した情報」から「治療から独立した情報」へパラダイムの変化がおこっている医院は、来院者とのギャップがかぎりなく少ないと思う。

ちなみに、この仮説は自分の周囲の先生方をもとにたててみた。どういうことかというと、それらの先生の共通項を分析した結果、今述べた変化が起こっているし、「高度なコミュニケーション力(あまりこの表現は好まないけど)」を持っておられる。だから、非常にミクロでかつ主観的なので、「仮説」なんていえる代物でもないんだけど(笑)。

ただ誤解のないようにしておくと、治療に従属した情報を伝えることはとても重要だし、一方で来院者のヘルスリテラシー(次回に詳細)や現行の医療制度の問題を現場で見聞すると、事は単純にいかないと思うのも正直なところです。

次に、「コミュニケーションを高める」定義を「どのように?」とした場合を考えてみたい。これについては、識者の方々が百家争鳴をくりひろげられていて、とても勉強になる(たとえば、こちら)。なので、ここで卑見を披露するなんて、恐れ多いのだけど、がんばってチャレンジさせてもらおうかと(笑)。

今回、僕は「どのように?」を「修養」だとあてはめてみた。理由は、「修養」という言葉を鑑みたから。修養の意味を辞書でひくと、「心の持ち方・対人行動に気をつけ、他人の人格を重んじ、自分の人格を高める」とある。

これを咀嚼して、俗っぽい言い方をすると、映画を観たり、小説や文献を読んだり、芸術を観賞したりやってみたり、趣味に没頭してみたり、自然にとけこんでみたりすることから得られる「感性」を豊かにしていくことだと思う。

あえてアカデミックな手法的用語を用いず、とらえかたが難しい「修養」という言葉を選択した背景に、「テクニカルターム(専門用語)」と「コミュニケーション技法」が関係している。

歯科をはじめとする医療業界は、来院者に情報を伝えるとき、テクニカルタームで説明するという暗黙知が、隠然と存在していると感じたから。

これは歯科業界だけでなくどの業界でもいえる。例えば、自動車業界でもそうだ。ディーラーの営業マンが専門用語を交えてセールストークすると、自動車好きな消費者をのぞけば、一般的に敬遠されてしまう。

だから営業マンは、「テクニカルターム」を「理解できる言葉」に変換して伝えようと、コミュニケーション技法を学ぶ。確かに、コミュニケーション技法を学んでわかりやすく伝えてもらえると、僕のようなメカ音痴には、とてもありがたい。

しかし、修養している過程でコミュニケーション技法を身に付けると、幅や深みがでてくる。でも、表面的に装着しただけだと、「テクニックだけ」が露呈してしかねない。それが、1.のQOL情報を収集するときだ。

あっ、ところで自動車を購入する消費者のQOL情報って何だろう?これをスカッと例示できたら、頭脳明晰なマーケッターと言われるのだろうけど、僕はそんな能力をもちあわせていないのでご勘弁を。

ということで、今の話を歯科医療に置き換えてもらうと、おおよその察しはつくかと思います。

最後に、自分自身の弁解の意味をこめると、今述べたような感性を豊かにするには、「時間(期間という意味ではなく)」を確保する必要があると思う。そのへんがテクニカルスキルとヒューマンスキルの両面から研鑽する場合によこたわる二律背反らしきものを痛感してしまう。

さて、今回は、

  1. 医療消費者と医師との間で双方向の情報が流れるようにコミュニケーションを高めること
  2. 医療消費者自身も積極的に情報収集を行い、ヘルスリテラシー(医療を理解する能力)をさらに高めることが望まれる

のうち、1.について考えてきたけど、次回は2.についてふれてみます。