[Review]: 今日は死ぬのにもってこいの日

今日は死ぬのにもってこいの日

『今日は死ぬのにもってこいの日』 ナンシー ウッド, フランク ハウエル

原著表題「MANY WINTERS」。ショッキングな邦題だけど、内容はそうでもない。インディアン(あえて著書の表現を引用させてもらう)の「観」といったところかな。価値観、死生観、自然観…..。

もともとは、ニューメキシコ州のタオス・プエプロのインディアンが語り継いできた「口承詩」を、筆者が書きとめたもの。それぞれが独立した散文詩であると同時に、一つの長編叙情詩。

彼らの「口承詩」の特徴である、「単純なフレーズの繰り返し」や、生きとし生けるものを「神話的に捉える」性格について、著書の詩のなかで忠実に再現できるているところがすばらしくもあり、筆者の神秘的なさまがうかがえる(後述)。

原著表題からもわかるように、彼らの「口承詩」のキーワードは、”冬”。”冬”は、一年の終わりにあたり、なにかと暗い印象をもたれがち。「死」を暗示するともいわれる。しかし、タオス・プエプロのインディアンにとっての”冬”は、「再生」を意味する。冬があるからこそ春がやってくる。万物は一度死ぬことによって生をとりもどす。一度は耳にしたことがある、「輪廻転生」。

ニューメキシコ州地域に800年以上も住み続けてきた彼らは、近年、白人の文明に脅かされつつある。それでも、彼らは言う。「白人などほっといても、そのうちに自滅してしまうだろう。やつらにゃルーツがないもんな。ルーツなしに人だろうと部族だろうと生き残ることはできない」。

あくまで信じるところの一説だし、インディアン全員がそう考えているわけではない。また白人からは嘲笑されるかもしれない。でも、タオスの人びとは、そう信じるのが我々の生き方だし、政府が自分たちの土地の代替に与える利得よりも大切なこと。ただただ、そっとしておいてほしいと願う。

彼らは、万物のなかで自分たちがどこに立っているのかを理解している。父なる太陽と母なる大地。獣や樹木が兄弟。鳥の歌に酔いしれながら、雪と花と一緒に舞おう。獣も樹木も鳥も花も…..みんな同じ空気を吸っているのだよ。なんか、『天空の城 ラピュタ』に登場するラピュタ人の詩に似ている(笑)

この著書には、宗教から転じたオカルト的な言葉や人間を神に見たてるような宗教的教義も一切登場しない。インディアンの「観」が淡々と綴られている。それを可能にしたのが著者ナンシー・ウッドの存在。

あとがきによると、彼女は、出自はおろかなにほどのこともわかっていない。「白人の女性」とだけ告白しているが、その他は一切口を閉ざしている。彼女がどのような日常に身をおいているか数行紹介している程度。

あと著書の特徴は、邦訳されている原文(英文)が、巻末にすべて掲載されている。「青少年」を対象読者にしているせいか、いずれの詩もとても読みやすい。1974年にアメリカで出版されて以来のロングセラー。愛する人の死に際してや、追悼式、結婚式などで朗読され、名詩選や教科書にも転載。

個人的話題にふれると、中学の時に「死の恐怖」を感じ、それ以降、「自分の死生観」をもちたくて、紆余曲折した結果、いまの自分なりの見解をもっている。でも、それをこの著書にトレースして述べるだけの「哲学」をもっていない。それは、もっともっと「万物」にふれ、書物を読み漁り、思慮をかさねて「自分の言葉」で表現できるようになってからにしよう。はやく、そんな自分になりたいね。

最後に、一つだけ紹介。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。