自分の言葉を適切に評価する

全く意味不明なプライベートエントリーになることをご容赦、スミマセン。この1,2週間のあいだに、同一環境にいる複数の人たちから相談"みたいな"、悩み"みたいな"話をうける。不思議なもので、こういったことは、一定の間隔をおいて発生するんじゃなく、ある期間に集中してやってくる。

で、内容はともかく、それぞれの方の話を咀嚼するとおぼろげながらも共通点の課題が自分なりに見えてくる。

それが、ずばり、内田先生のこのエントリー

今の問題を組織論・労務管理論・人材育成論・マーケティング論など経営の問題としてとらえるのは、とても大切だと思う。でも、それ以上に課題が、エントリーの「聴き手に対する敬意」と「メディア・リテラシー」じゃないかなぁ。

例えば、部下と上司の関係に感じること。一般論はともかく、愚見をノーガキたれると、部下が上司に何かを伝える場合、

  • 「問題提議」なのか
  • 「批判」なのか
  • 「意見」なのか
  • 「相談」」なのか
  • 「報告・連絡」なのか

というふうに、話の内容を上司は分類し、それにみあった対応をすんじゃないかと。でも、どうもはじめの分類がごちゃまぜになる!?だから、対応にブレがでてしまうのかなぁ。

YES or Noで回答する場合、Whatで問い返す場合、Howでさらに掘り下げていく場合などなど。そして、その背後には、いつもWhyがある。

一方、部下は、「自分の立ち位置」をはっきりとさせ、聞き手に敬意を払いつつ、自分の話す内容を自問自答しながら伝える。部下も内容を分類するけど、分類があっているかどうかを、互いに確認しながらたち振る舞う。

自分の言葉を評価する努力は、難しい。何が難しいかを的確にかつ論理的に説明できる能力をもっていないのが、くやしいけど。雑感で述べるなら、自分の言葉を評価するには、「考える」ことが必要だし、なにより自分を多角的かつ巨視的に客観視するメソッドを発見しないと、評価自体を意識してできないのじゃないだろうか。

エントリーに登場する学生を置換するなら、確かに、経営論を習得し、経営にまつわるタームを駆使するのは必要だ。でも、それ以上にもっと、ナマな部分というか、「顔見てきちんとモノを言っちゃおうよ、感情的にならずにね」ってところに目を向けられたらいいなぁってね。

こんだけノーガキたれれても、僕も全くできていないし、未だに情けなくなる。でも、自分の言葉を評価する努力はし続けたい。それにブログかぶれじゃないけど、「伝える」ということを問いつめていくと、「相手を慮る」って言葉が自分の思考のなかに育まれてきた。

みんな苦労しているよなぁって、今回も痛感した。でも、もがき苦しんでいる姿を拝見していると、互いに切磋琢磨できたらいいと思うわけで。ほんの少しの遊び心を大切にしながらかな。

ホント、スミマセン。今回のエントリーはいつも以上に意味不明で中途半端、グダグダになってしまった…..orz