同じ穴の狢

「乗客」の運転士2人、救助作業せず出社 JR脱線事故

兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)で脱線した快速電車(7両編成)に、出勤中のJR西日本の運転士2人が乗り合わせていたことがわかった。いずれも救助活動に加わらずに職場の電車区に向かい、通常通りに乗務していた。うち1人は電話で、職場の上司に快速に乗り合わせていたことを報告したが、上司は事故現場に戻るよう指示しなかった。現場を離れた理由について、2人は「気が動転していた」などと説明している。

労組の最初の会見と違う。その後、「二人とも現場から連絡したが、うち一人は"遅れずに来てください"との指示があった」と。会社は、早期再開をめざすあまり迷言よろしく迷走しているし、労組は、自分たちの責任について明言をさけながら"会社"を連呼してるって思う。

相対峙しているようだけど、両者がみているモノは、「JR西日本」。同じ穴の狢。内に目をむけているだけじゃないかなぁ。

「思い込み」なんだろうか。置き石や車両や人身など第三者の力が働かないかぎり、"事故"は起きない、ましてや自分たちのミスで"大惨事"がおきるはずがないと思いこんだのか。ボケたのか。

ところで、過去5年間の財務報告(要約版)から財務状況を大雑把につかむと、

「なんとか利益を」と経営目標の第一に掲げざるをえないのかと。

連日、センセーショナルなタイトルで報道しているメディアの「利益優先主義」なんていわない(なんかメディア→J西の日勤教育を彷彿させるような)。でも、思い込めば、都合よく思考を停止できる。何もおこらないなんて思考停止が、目に見える数値で回収できない「安全」に投資させなかったのかなぁ。「安全」は決算書にでてこないし、株主に還元(配当)できないし。

今の安全性の水準を向上させるためのコスト負担のわりに、JR西日本が得られるベネフィットが小さい。顧客には「安全性」をアピールできない。となると、今の安全性の水準を維持しながら、業績に応じたコスト負担が妥当だという判断があるのかなぁって穿った。設備の機能的水準は低下しても、安全性の水準を維持するという構造。

ATS-Pが導入されても今回の事故を回避できるかどうか不明なんて意見やATS-Pの導入率が関東の20%台に比べて、関西が7%台と極端に低いというデータを見聞するし。

あと、JRの労組にかぎっていえば、今以上に感情的になるし、書くのも嫌悪感があるぐらい個人的には、「存在価値」がないなぁって思っているので割愛。無知を承知でいうなら、「今回の事故を自分たちの存在価値にかけて"総括"してよ」ってぐらい。

グダグダと書いてきたけど、(一歩一歩少しずつ前進できるように)事故原因の究明と再発防止の提言が実りあるものになるよう事故調査委員会の方に切望する。政府には、必要に応じて必要最小限の「抑制」を、事態を憂慮している官僚に考えてもらうように望む(規制は個人的には賛同できないけど)。識者の方々には、企業が合理的に判断した安全性を超えたレベルの安全性について、メディアのかわりとなって、様々な見地からの言説を求む。

それらの方々の勇気と知恵が、JR西日本を「有言実行」へと導けば、今回のさけることのできない感情に少しでも報いるのではないかと愚考した。