3分間スピーチ

3分間スピーチ -超級編-

いよいよ最後の超級編(ニュアンスは番外編)。超級編といっても私は経験したことないので御ご了承を。上級編までの違いは前提の環境。「話し手も聞き手もお互いが、顔見知りもしくは少しでも気心が知れていない」環境。大衆や講演会での挨拶、演説的要素もあるかな。あまりまとめずに思うがままに書かせてもらいます。

超級編のスピーチは、淡々と話し言葉で紡ぎだされていく。専門用語や書き言葉に置換しない。聞き手の全員が「感動・感銘・感慨」するわけじゃないけど、最大公約数の人数が「何年たっても忘れられない」と言われるようなスピーチ。

となると、自ずとテーマが絞られる(と思う)。それは原理原則。理想を宣っていると揶揄されても、恐れず伝える勇気によって支えられるスピーチ。

身近な日常のできごとを例にあげ、聞き手に「自問」させた刹那、「不変の真理」の結論へと導く(って感じ)。大げさにいえば、有象無象を五感に働きかけるような(笑)。

  • 『独裁者』: 世紀の6分間(チャーリー・チャップリン)
  • 『私には夢がある』: ワシントン大行進でのスピーチ(マーティン・ルーサー・キング牧師)
  • 『腐ったミカン』: 卒業式前の暴力2の金八先生の訴え(武田鉄矢)
  • 『釣りバカ日誌』: スーさんの結婚式でのスピーチ (三國連太郎)
  • 『なまとなでしこ』: 中原欧介の結婚式でのスピーチ(堤真一)

などなど、枚挙にいとまがない、主観的すぎるけど(笑)

あとは”声”。スピーチに興味があるからだろうけど、人の「声」がとても気になる。高低やトーン、透明感とか…..etc。人を魅了する声ってあるんだなぁって思う。なんとかいうか、心に響くというの。決して甘いトーンのボイスとかじゃなくて。ナレーションにそんな感じがあるって思いませんか?

以前お世話になっていた会社で、私が尊敬してやまないある意味目標の先輩がいた(お互い退職してからはあまり会う機会がないのがザンネン)。その先輩、男前という特典付き、そのうえ「声」に特徴あり。ハスキーまでいかないけど近い。透明感よりも少し曇っていて低め。でも、なんというか落ち着く。この「落ち着く」という気持ちを抱かせるのがミソ。

ずいぶん同行して仕事させてもらった。先輩が話すと、相手がスーッと引き込まれていくのが体感できた。ロジカルかつ顧客の関心事を的確に説明するうえ、それだけにとどまらない「何か」をしばしば感じた。

ちなみに自分の「声」は大嫌い。バタつきがあるし、トーンが耳障り。スピーチするときはなるべく「声」を意識して、どんな声なら聞き手がもっとも反応するかなんて、試行錯誤した。やっぱり録音するのが一番いいん。でも、慣れている地声にもどってしまう。よほど意識しないとね。

超級編って、テクニックの次元じゃなく、「人格者」的要素、身体からにじみ出る「知性の香り」のような、”インビジブル”ってあるんじゃないかなぁって沈思黙考。