diary

歳を重ねた父を感じる

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今週末、里の両親が引っ越すので手伝いへ行くんだけど、父を見ていると何だか感慨にふける。「人は、歳を重ねるとこれだけ劇的に変わるのだろうか?それとも、僕がわかっていなかっただけなのか?」って。

父は教育大学在学中、英語の教師になるつもりで教育実習を受けたところ、「こんなにも教師になる人がおるんやさかい、オレがなる必要ないわ」と血迷ったらしい(笑)。そのとき、学生結婚の二人の間には、すでに僕が生まれていた。

卒業後、紆余曲折をへて、ちょうど今の僕ぐらいで、”就職”した。それからというもの、俗に言われる馬車馬企業戦士のように働いたと思う。小学校の5,6年生ぐらいから大学を卒業するまで父と一緒に飯を食ったり、会話をした記憶がほとんどない。あるのは、夏休みや大型連休に、泊まりで遊びに行ったときの出来事ぐらい。

それでも、僕が進路の岐路にたつたび、母経由の助言があったし、僕がナニをしようが、「男たるものそれぐらいがちょうどええんや」と放任され、「ただし、人様に絶対に迷惑をかけるな」と釘をさされた、矛盾だけど…..orz

父に対する僕の態度は、三つ。感謝・畏敬・懐疑。

学生結婚+僕+自分が招いた原因=相当の生活苦だった父にしてみれば、何よりも稼ぐことが必定だったんだろうなぁと。弟が生まれた一家四人を養うため。子どもを大学までいかせるため。そして、自分のため。そんな父に感謝していた。

僕や弟に手はあげなかったけど、「反抗してはいけない」という圧倒的な人格に畏敬の念をいだいた。

あと、ずっとずっと感じてきたこと。「母は幸せなんやろか?」「ほとんど家にいなくて、女性として幸せなんやろか?」「専業主婦でない母に家事ばかりやらせて、どう思っているんだろうか?」といった懐疑。

今では自嘲するんだけど、20代半ばまで疑問だった。でも、ここ1.2年ぐらいかな。父の言動を見聞していると、変わったなぁって息子的には感じる。つい最近もケータイで、

「オレな、今から母さん迎えに行くねん」と無邪気に話しているし、先日も、「今、京都まで歩きにきてるんやけど、でてけえへんか」って連絡してきたり。

何処へ行くにも車、決して歩かなかった父が、母と二人で散策するようになった。母と休みが合えば、京都へ奈良へ、連休なら遠出。僕が禁煙したとき、爆笑していた超ヘビースモーカーが、スッパリとタバコをやめた。母とショッピングなんてガラでもなかったけど、二人でお買い物。自分の休みの日は、母の職場へ送り迎え。

父を見ていると、歳を重ねるってなんだろうなぁって思索するし、励みになる。「父さんの車好きがなかったら家をもう一軒買えたかもしれない」と母が微笑みながら言うように、30,40代は家族を養いながら自分の好きなことをしてきた。その父が50代半ばで「自分より妻」になってきた。

追伸
そんな二人から年明け早々に、「家を買おうと思うねん」と相談された。しかも今の家を残してと聞いたとき、驚愕して、真っ先に反対したんだけど、続きは後日エントリーたてようかとどうかと思ってます(笑)。

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