小さな命#2

希望だけを信じた人たちの戦いがはじまった。院長先生は24時間のうち可能なかぎり、小さな命のとなりで寝食をともにし、少しでも変化があれば応答した。一方で、

  • 助かる確率が非常に低いこと
  • 万一助かったとしても、何らかの知的障害がのこる可能性が高いこと

という”宣告を”受けた二人は、いまだに現実を受け入れられずにいた。

母親は泣きながら自分を責めるしかできず、父親は我が子の悲運と不遇の自分を呪いながらもがいていた。祖母はきっと助かると信じて、毎日お百度参りへ足を運んだ。自分たちは無力だとわかっていた家族は、それでも現実に向き合おうと、それぞれが”場所”を探した。

それから約1ヶ月後、何とか命だけは助かったと院長先生から告げられた。数日後、祖母の家で飼っていたネコが死んだ。

助かったとはいえ、気を許すわけにはいかず、知的障害が残る可能性は否定できなかった。両親は我が子の誕生をようやく心から喜べた。同時に明日からやってくる新たな不安との戦いを覚悟した。

3ヶ月ごとの脳波検査が4年続いた。

院長先生から告げられた言葉が今も忘れられないと両親は言う。

「よかったですね、もう大丈夫です。知的障害が残る可能性はないでしょう。まぁ、肉体的な成長は若干遅いですが、それも小学校の高学年ぐらいになると心配する必要もなくなるでしょう」

あれから30年たった今でも、この出来事に話題がおよぶと、両親は当時の苦労や苦悩もまじえた会話に花が咲く。いまだにあのネコが身代わりになったと力説する。

当の本人はというと、迷信を意に介するそぶりも見せず、親不孝にいそしんでいる。小さな命を助けてくれた院長先生や関係者のみなさんには申し訳ないが、「好きに生きるのじゃなく、好きなことをして生きる」のが恩返しだとうぬぼれ、”不風流処也風流”にあこがれる茫々たる日々を過ごしている。