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[Review]: 寝ながら学べる構造主義

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寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

『寝ながら学べる構造主義 (文春新書)』 内田 樹

著者は内田樹先生。先生のブログを拝読している。深遠な哲理とコミカルでシニカルな日常のコントラストが、感性のかゆいところに手が届いて、毎度溜飲を下げる。失礼を承知で申し上げると、「よぉ、内田屋」と喝采してしまう。今回の著書もブログ同様、「構造主義の入口がどこらへんにあるのか先生の書いてくれた地図でわかった(つもり)」って感謝。「素人向け構造主義入門書」。

本書は、ある市民講座でおこなった講義のノートを焼き直したモノ。聴講生は、平均年齢60歳、フランス現代思想および哲学史の予備知識のない市民のみなさん。持ち時間は90分。とにかく「分かりやすく」を目標に書かれた講義ノート。注意点は、「分かりやすい=簡単」ではないこと。「複雑な話」の「複雑さ」は温存しながら、見晴らしのよい思想史的展望を試みている。

  • 目次
  • まえがき
  • 第1章 先人はこくして「地ならし」した -構造主義前史
  • 第2章 始祖登場
  • 第3章 「四銃士」活躍す その一 -フーコーと系譜学的思考
  • 第4章 「四銃士」活躍す その二 -バルトと「零度の記号」
  • 第5章 「四銃士」活躍す その三 -レヴィ=ストロースと終わりなき贈与
  • 第6章 「四銃士」活躍す その四 -ラカンと分析的対話
  • あとがき

私たちは自分が思うほど主体的にものを見ているわけでない。なぜなら、私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属している。その属性条件が、ものの見方を決定している。これが構造主義の基本的な考え方。

置換すると、属する社会集団が、受容したものだけを選択的に「見させられ」「感じさせられ」「考えさせられ」ている。自分の判断や行動が、「自律的な主体」と信じているが、実は、それは限定的なものである。

「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」という主張が論理的に基礎づけられない。なぜなら、属性や視点が違えば、世界の見方は変わるから。この批評の有効性を付与したのが、構造主義であり、それはつい最近、20世紀に入ってからである。

たとえば、イラク戦争に対する街頭インタビューの無難な模範解答を考える。「ジョージ・ブッシュの反テロ戦略にも一理あるが、アフガンの市民たちの苦しみを思いやることも必要ではないか」と判を押したような答え。

この模範解答の考え方ができるようになったのは、構造主義の功績が大きい。それ以前(1960年代まで)は、抗争している当事者のどちらか一方に「絶対的正義」があるはずだ、というのがその時代の「常識」。相手のものの見方を相対化することはあっても、「等権利的」に配慮し、いずれかが正しいとはにわかに判定しがたいという意見を公言するのはごくごく少数。

自分の思考や判断は、どれほどの客観性を有しているのかを反省した人は、確かに昔から存在した。

というのも、『自分にとって「自明」であることは、他人にとっても同一確実性をもった自明なのか』という懐疑は、哲学の出発点。だから、プラトン、デカルト、カントもみんなそこから出発した。

しかし、この懐疑を抱いた人は、純粋な思弁にとどまった。その人たちの行動様式を変容させ、とりまく人の世界を変えるまではいかなかった。

純粋な思弁にとどまらず、「日常生活」に連結する道筋、いわば構造主義の源流にあたる発見をした人が、カール・マルクス、ジグムント・フロイト。構造主義の「地ならし」をした二人のほかに、ニーチェ。

この三人の思想の解説があり、以下、構造主義の始祖(といわれる)であるフェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学講義』が取り上げられる。ソシュールの理説がのちのロシア・フォマリスム、未来派、フッサール現象学など多様な文芸思想運動を形成し、それらの新しい波の洗礼を受けたのが、構造主義の「第三世代」。

その第三世代の四銃士、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、クロード・レヴィ=ストロース、ジャック・ラカンの講義へと続く。

今回、本書を手に取った動機やノーガキは次のエントリーで。

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