賛成・反対、粛々と…..

派閥のドンも「はっきり言って、さじを投げた。解散阻止なんてできない」と宣った郵政民営化。勧善懲悪調の「政局」は、編集しやすくてわかりやすいという、マジョリティとメディアに後押しされているような!?

と、それはさておき、「何が問題か?」を自分の備忘録にしてみたい。ちなみに、自分は郵政民営化賛成。なぜ賛成かの結論を先に述べると、「郵便事業」と「金融事業」の民営化を、"切り分けて"考えた場合、「郵貯・簡保あわせた約330〜340兆円の資金が、市場原理が働かないまま運用されている構造」を改革する方が、民営化先送りよりも優先だと考えるから。

郵便事業と金融事業を分離して考える前提がナンセンスだという反論も理解している。反論に沿うように、自民党反対派議員(以下、反対派)も「四分社化」に疑問を呈している。とはいえ、「資金の入口」となっていた財政投融資改革の成果がでている最中(後述)、「資金の出口」である国債の大量発行の買いを支えている構図は、問題なのではないかと思う。日本の国債市場が、他の先進国に比べ、決して健全とはいえないのは周知のとおり。

国債依存の予算から脱却するためには、小さな政府の構築もさることながら、「買い支え」ている資金流入(郵政からみると「資金の出口」)を断ち切る必要があるのではないかな。

一方で、田中秀臣先生がおっしゃる問題が残る。

おそらく郵貯部門が民営化されても従来の国債・地方債中心の運用を劇的に改善することはないであろう。もし政府が郵貯・簡保による国債・地方債の運用を抑えたいのであれば民営化ではなく、これらは現時点で政府部門なのだから直接その購入を制限することが可能であろう。

専門家が指摘するのだから、その通りだと合点はいく。理路整然と反証できないが、「流入という退路を断って、発行を抑制する抑止力」にならないかと、門外漢の僕は"期待"してしまう。

ところで、そもそも「なぜ民営化する必要があるのか?」という桝添要一参議院議員の質問に対して、「民間にできるものは民間に移行し、効率的な資源配分をおこない、活力を生み出す」と、正攻法な回答をしている(参照:参議院会議録情報第162回国会 郵政民営化に関する特別委員会 第12号)。

この正攻法な回答に対して、反対派が喧伝するのは「国民」のためというロジック。

今回、反対派の多くが、「地方(過疎地)の郵便局が無くなったらどうする?」という存続論を論説している。だから「国民の側に立って反対している」のですよと訴えている。この場合の「国民」は、「利用者」を意味し、労組や特定郵便局という"票田"を建前上含んでいない(労組は民主党だけど)。利害関係者ではない「国民」に反感を招く恐れがあるから。

政府もこの懸念を払拭するために、8/2の参院郵政民営化特別委員会で、民営化後の郵便局ネットワークについて「国民の資産として守り、万一にも国民の利便に支障が生じないようにしていく」と答弁した(参照: 同第12号)。

では、「国民」のためというロジックが、金融事業の民営化については援用されるかというと、故意か過失か、反対派は、「もし郵便局がなくなれば、隣の銀行は10km先」という国民の声を例証し、ここでも「存続論」に終始している。

金融事業の民営化の目的は、「公的部門に流れていた資金を民間部門に流し、国民の貯蓄を経済の活性化につなげることが可能になる」ことだ。

郵貯や簡保で集めた巨額の資金が、これまで財政投融資(別名:第2の予算)を経て特殊法人に流れていた実態が、官の肥大化を招いた原因とされている。そこで、資金の流れを断ち切る、つまり「資金の入口」を絞れば特殊法人が改革されるというのが、元来の郵政民政化の目的の一つ。

ところが、賛成派の僕からみても、この「資金の入口」は、すでに絞り込まれているように思える。

資金運用部を経由した郵貯、年金資金の財投への供給にはピリオドが打たれたが、国債の大量発行が続いている限り、公的金融の肥大化は残る。それでは財投改革は打ち消されてしまう。

むしろ問題なのは、資金の出口である「国債、地方債、財投債くらいしか買えない実態」ではないかな。ここにメスを入れない限りは、いつまでも官の肥大化は続くのではないかと思う。

今回の郵政民営化問題について考えるとき、「官から民へ・資金の入口と出口」という、一見すると自分には関係がないように錯覚する「国民」のための「構造」の問題を、「残るのか残らないのか」という直接自分の利便性に関係する利害関係者のための「切実」な問題として論破されているから、「プロ野球が1リーグ制だろうが、2リーグ制だろうがよくわかんない」的雰囲気を醸し出しているような感じがする。

いずれにせよ、8日の午後には帰趨を決する。最終的には人の考えることだから、「国家百年の大計」よりも「好き嫌いや当選落選」というナマな感情が作用して、木札が投じられるとわかっている。それでも、賛成・反対を粛々とすすめてもらいたいね。