グランドデザインがなければただの怒号

新潟5区のカリスマは、僕のなかではアウトオブ眼中で、なぜ父上と資質がずいぶん違うんだろうって程度だった。だからブログでも触れることはないなぁって安心していた(笑)

ところが、大衆紙ZAKZAKの「真紀子地盤揺るがず、「応援」に飛び回る余裕」を一読して釣られてしまった。青二才だなオレも(w

関係者によると、地元のミニ集会でも真紀子氏は「比例で自民と書くと、また小泉が現れる」と、民主党を推す場面があると思えば、"角さん"を信奉する年配が多い集会では「政界再編が必要。民主党が天下を取ってもすぐにつぶれる」と手のひらを返すなど、相変わらずのハチャメチャ理論を展開する。

報道を嫌っているためか、「編集された映像」からしか邪推できないけど、ことあるごとに「政界再編」を叫んでいる。でも、政界再編のグランドデザインが、僕には全く見えない。

唐突だけど、引用箇所の"ハチャメチャ理論"を大政奉還案になぞらえて考えてみたい。自民党支持者には、民主党が天下とっても再編、民主党支持者には、自民党から政権交代を絶叫する奇妙奇天烈なロジックは、なんとなく当時の状況を彷彿させるから。

かつて、司馬遼太郎氏は、『龍馬がゆく』のなかで、"大政奉還案"のことを『一種の魔術性をもった「稀世」の妙薬』と評した。

討幕派にも佐幕派にも都合よく理解されることができる。たとえば後藤象二郎が理解したのは、「徳川家のためにもなり天朝の御為にもなる」という矛盾統一の案、ということであった。この点、勤王か佐幕かの矛盾になやむ山内容堂にとってはこれほどありがたい案はない。一方、中岡のような討幕急進派にとっても、大政奉還案の気球をあげることによって、合法的に討幕兵力を京に集中できるのである。(「龍馬がゆく(八)P.27」)

双方に「快癒する」と訴えるようなこの案は、見方を変えれば、詐欺のようにも受け取れる。発案者と言われている(実際はわからないが)坂本龍馬の行動は、いつも「右か左」ではなく、「わしは違う道じゃ」と言わんばかりの"第三の道"を選んできた。

しかも、その道は独創性に富んだわけじゃなく、周囲の識者が坂本龍馬に吹き込んだ「好意的意見」を自分なりに加工したモノ。そして、双方に都合のよいアイデアとして提示し、「実利」を優先した。そんなブローカー的役割をこなした。神戸海軍塾、亀山社中、海援隊を代表とする所行には、常に「利」が念頭にあったのじゃないかな。

それでも、坂本龍馬が、名実ともに「策士」にならなかったのは、「船中八策」をはじめとするグランドデザインがあったからだと、僕は思う。

天皇陛下のもと万民無階級の共和制を模索しはじめていた日本の姿、貿易がもたらす利に魅了された海運業と経済の姿、最新の銃(陸軍)と最新の軍艦(海軍)で構成される国防の姿。僕は坂本龍馬をヨイショしすぎるきらいはあるが、彼のアイデアは、大半がきらびやかな国家像だ。

グランドデザインがあったからこそ、すべての事業が道半ばの中途半端に終わっても、人々から支持されたのだと思う。そして、その意志を引き継ぐ人も登場したのじゃないかな。

今回の記事の引用箇所が果たして事実なのかどうかは、確認できない。だから、あやふやなことを書いちゃいけないのはわかっている。ただ、もし本当なら、まるで「清河八郎」みたいな人だ。あっ、女性の氏を男性に例えるのは失礼か(汗

全国の討幕(倒幕)派に「機は熟した」と遊説し、京へ兵を上らせろと煽った。それが、失敗すると今度は、幕府に、「都を警護する隊の編成」を上申し、いざ京都へやってくると、「敵は幕府である」と平然と嘯き、それらの一派が後の新撰組になるという皮肉な結果をまきおこす。そして、自身はというと…..。

具体的な政策は語らず、グランドデザインも語れない、語るのは身近な話題をおもしろおかしく、時には、脅すように語るのみ。自分の言葉はどこにあるのかを語ってほしい。