「兵器」を引用するのはなぜ?

Sankei Web:支援「満足でない」 ハリケーン被災地、ブッシュ大統領が視察

大統領はアラバマ、ミシシッピ、ルイジアナの順で回った。ニューオーリンズ市内は、上空からの視察にとどめた。大統領は記者団に対し、「メキシコ湾岸全体が、想像もできないような最悪の兵器によって消されたようだ」と感想を語った。

この手の報道にでくわすと、いつも「なぜ?」って首をかしげる。たとえば、今回なら、「なぜ、"兵器"を引用するんだろうか」って。

ただ、これは問いにならない。というのも、僕がこの問いに対する答えを確認する術を持ち合わせていないからね。どこまで言っても当て推量の域、それも、判断するための基準値を設定していないから、空想に近い。

まぁ、国民にわかりやすく伝える目的も含まれるのだろうけど、もっと奥が深いモノを妄想しちゃう。一方で、個人的には、「わかりにくさ」がつきまとう。「わかりにくさ」っていうのは適切じゃないかもしれない。う〜ん、言葉そのものの意味がわかりにくいんじゃなく、文化や歴史、特殊事情や過去の事例を把握していないから、「その表現が創出されたプロセス」とでもいうのだろうか。そのあたりがかみ分けにくい。余計に耳を傾けたくなるんだな。

って、結局何が言いたいのかというと、次のエントリーの伏線なんだよね。なんというか「背景」と「観念」について。「聴く・観る」という視点からまとまってきつつあるので、チャレンジしてみよっと。