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[Review]: 国家の罠

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国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)』 佐藤 優

著者は1985年同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省専門職員(ノンキャリア)試験に合格。95年まで在英日日本大使館、ロシア連邦日本国大使館に勤務。95年4月、外務本省国際情報局分析第一課に配属。2002年5月に「背任」と「偽計業務妨害」容疑で逮捕。以後、東京拘置所での抑留生活は512日。拘置所内では、外交官時代に培われた能力である「諜報力」と、「事象を大局的見地から構造的に」とらえる類い希な洞察力を存分に発揮した。その512日間の抑留生活の内情と背景を、「国策捜査」という視点から書き下ろしたのが本書。

-目次-

  • 序章
  • 第一章 逮捕前夜
  • 第二章 田中眞紀子と鈴木宗男の戦い
  • 第三章 作られた疑惑
  • 第四章 「国策捜査」開始
  • 第五章 「時代のけじめ」としての国策捜査
  • 第六章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
  • あとがき

いきなり愚見を述べると、筆者は、”国際標準”でいうところの「諜報員」にカテゴライズされる。これを忘れてはいけない。日本には、公式の諜報機関が存在しない(ことになっている)が、筆者が外交官時代に従事していた仕事は、まぎれもなく「諜報活動」だ。

だから、この著作が、

  • どのような”層”に熟読玩味され
  • 本書の情報(informationではなくintelligence)がどのように伝播して
  • 社会にどのような影響を与えるか

あらかじめ想定(精度の高い予測)して構成している、と推察できる。あくまで僕の邪推だが。

本書は、「強固な記憶にもとづき、時系列に詳細な部分まで再現」されている。おまけに、コンテクストがまるで今すぐにでも映画の台本に使えそうなぐらい、「映像を意識した情景描写」になっている。すでに映画・ドラマ化までのシナリオとその後の反響まで予測して書いているかのよう。

僕は、書籍について自分なりの基準をもっている。そのひとつは、他人に積極的に勧めないこと。他人の価値観や知的好奇心は千差万別なわけで、自分が読んだ書籍が、それらと必ずしもシンクロしない。だから、できるかぎり、「客観的に説明」するように心がけている。

そんな基準をいとも簡単に壊してしまったのが本書だ。ずばり、日本の政治・外交に興味がある方は、一読してもソンしないと思う。なぜ損しないかを一言で集約すると、本書の内容が、「インサイダー情報でありながら暴露本ではない」から。

著者の類い希な洞察力が、今回の事件の背景を冷徹にえぐり出そうしている論理構成に、暴露本でないと憶断した。一方で、「諜報力」をフル回転させて、登場人物や国家機構にカウンターインテリジェンスをしているのじゃないかと思い身震いした。

ただし、著者の巧みな表現によって、自身の外交業績を喧伝しているあたり、「国益」か「自己顕示」を見極める必要があると思う。本書からだけでは、難しいけど。

いきなり愚見を述べすぎたので、話をもどす。

「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです。」(同書P.287)

これは、担当検事と筆者(以下、佐藤優氏)が、「国策捜査とは何か」について取り調べのなかで議論したときに、担当検事が説明した内容。

検察は、「作り出す」と言っているが、決して「冤罪」を意味しない。あくまで、法律があるのを前提に、適用基準、いわばハードルを引き下げて犯罪として摘発してしまう。近年、政治家の国策捜査については、このハードルが驚くほど下がってきている。

検察自身も戸惑うほどのスピードでハードルが下がる。それには、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができあがっていくという、ある種恐ろしい現実が、今の日本にある。

では、なぜ鈴木宗男氏が「国策捜査」の対象として検察のキャスティングに抜擢されたのか?

それには、小泉政権の成立が深く関与していると分析している。小泉政権の誕生後、日本の内政と外交は大きく変化した。

  • 内政は、「ケインズ型公平配分路線」から「ハイエク型傾斜配分路線」への転換
  • 外交は、「地政学的国際協調主義」から「排外主義的ナショナリズム」への転換

この二つの変化は、日本国家体制の根幹に影響を与えるまさに構造的変革という性格を帯びている。この二つの変化は突き詰めれば、軋轢を抱えている。それでもパラダイムシフトを加速させるために、象徴的事件のターゲットになったのが鈴木宗男氏。

構図としては、「政治権力をカネに替える腐敗政治家を断罪する」という寸法になる。

これが、本書の主題といえる。そして、今回の「国策捜査」の始まりと終わりには、とてつもない大きな力が作用している点、検察との丁々発止、外務省の自己保身的体質を「記録」として残していく。

その他にも拘置所での抑留生活の様子が、かなり突っ込んだところまで書いてあったり、看守とのさりげない日常会話から佐藤優氏が、どう感じとったかなどの描写は、小説としてもおもしろい。

最後に、外務省の基本的外交スタンスと、その組織の実態についての解説を読むと、今の外交政策が垣間見えるようで興味深い。

かつて、外務省内部には、日米同盟を基調とするなかで3つの異なった潮流が形成されていた。

  1. 冷戦に勝利したアメリカの一人勝ち時代に、今まで以上に同盟関係を強化しようとする「狭義の親米主義」
  2. 日本は歴史的、地理的にアジア国家であるということを再考し、中国との安定した関係構築を国家戦略とする「アジア主義」
  3. 日本・アメリカ・中国・ロシアの四大国によるパワーゲームの時代が始まったと認識し、そのなかでも最も距離のあるロシアとの関係を近づけることが国益とする「地政学論」

橋本龍太郎政権以後、3の潮流が発言力を強め、特に、2000年までに日露平和条約締結、北方領土四島返還の目処をつけることが至上命題になっていた。ところが、その目標も達成されないまま、小泉政権が誕生し、田中眞紀子氏が外務大臣に就任すると、この3の潮流が凋落し、次に2が台頭する。

その後、田中眞紀子氏と鈴木宗男氏が対峙。田中外相と野上次官の更迭、鈴木宗男氏の議運委員長辞任という「三者一両損」によって、2の潮流も発言力を弱める。

そして真打ち登場、「狭義の親米主義」が官邸とスクラムを組み、外務省を丸のみしはじめる。

右、余談。佐藤優氏は、「第二章 田中眞紀子と鈴木宗男の戦い」のなかで、田中眞紀子氏を柔らかい表現ながらも痛烈に批判している。一方で、鈴木宗男氏を賞賛している。まったくマスメディアの評価と真逆であり、毀誉褒貶な論評が興味深い。

なるほど、鈴木宗男氏の人物像がマスコミに作り上げられてきた偶像でしかないことは理解できる。ただ、若干贔屓目なニュアンスとも感じ取れるように思えたので、思わず相好を崩してしまった。

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