背景を知るってどういうことって首をかしげた

背景を知るってどういうこと?う~ん、「なぜ」から出発して、「物語」を聞いて、「自分の思いこみ」を横へ置くかな。「問いをつくり、観念をすてる」こと?でも、本当に聞くって、”問い”すらつくらないのかも。だって、問いをもてるのは、すでに答えをつかみかけているかもしれないから。

F先生にお世話になって足かけ2年。偶然にもその数年前にお目にかかって以来なら何年かな。F先生とコミュニケーションするとき、「心地よい緊張」と「はずしたゆるみ」が、振り子みたいに揺れる。

心地よい緊張って、「聞かなきゃ」って思うから。この先生から以外に、「聞く」という難しさを教わったことが少ないなぁ。いや、「聞く」じゃなく「聴く」かな。教わったとおりになかなかできないからとにかく緊張する。いや、ほんと、スゴく難しいんだ、「聞く」って。

もう一つのはずしたゆるみは、この先生の前なら多少!?ハメはずしちゃうんだ。で、ユルんでしまう。なんか下品かも…..、ま、いいや(__;)

食事をご一緒にさせてもらうと、「素」の自分をだしちゃって、あとで酔っぱらいながら、「若輩モンが失礼なこと言っちゃったかな」って自答したり、「しまったなぁ、もっと聞くに徹すべきだった、はめはずしちゃった」て反省したり。ホント、楽しいわけ。

で、先生と出会ってからジグソーパズルのピースがはまりつつある。そのうちの一つが、「背景を知る」ってどういうことなんだろうなぁって疑問。ずうっと昔から片隅に離れなかった。

少し回り道ね。2,3ヶ月ぐらい前かな、「きっと忘れない」って映画を観た。あらすじは、リンク先で(笑)

ハーヴァード大学の奨学生モンティ(ブレンダン・フレイザー)とホームレスのサイモン(ジョー・ペシ)という構図が、いかにもって感じで、ストーリーもひねりがない。だけど、一つ一つのシーンを切り抜きすると、いろんなテーマを与えてくれた。

次のセリフのワンシーンがある。うろ覚えだけど。モンティがサイモンに生活保護をすすめるシーン。

  • モンティ: 「あなたは、かつて造船所で働いていたときに税金を納めていたか?」
  • サイモン: 「払っていた」
  • モンティ: 「だったら、あなたには保護を受ける権利がある」

何気にながめていると、当たり前のように思える。でも、日本人の感覚じゃ、コレって奇異に映るヒトもいるんじゃないかな。義務と権利のロジック。

こういう不思議って映画や小説、絵画なんかにゴロゴロしてるし、旅行でも遭遇する。でも、そのときにスルーしていることも随分あるんじゃない?

それは、勝手に思いこんでいるようなモノ(観念かなぁ?)が、無意識に自分を納得させてしまっているのかもね。あっ、そうそう、観念ってコトバの意味がワカラナイから、少しずつ哲学の本を読んでいるけど、やっぱりわかんないやorz

「なぜ」って問いを持つのも難しい。最初に述べたように、答えをおぼろげに持ってしまっていて、それが正しいかどうか、ぶれていないかどうかを、確認しちゃっているかも。

そうなんだ。聴くって難しいのは、カンネンを捨てられないから、「自分がしゃべるために聞こう」とするから。「聞き手」からいつの間にか「話し手」になっていて、「聞く」という皮膚をかぶった「情報収集」になっちゃう。目的は、自分にとっての知の獲得。

聞くを連発してるなぁ、稚拙まるだしの文章(笑)

ダメってわけじゃない。それに映画を例えにしているのに、棚上げしちゃうと(スミマセン)、文化や習慣、自然科学なんかの背景を知るには、「なぜ」が大切だと思う。

ただね、じゃぁ、「脚本でなぜこのセリフを書いたんだろう」って類。ちょっとカッコつけるなら、「心理」的なモノは、「なぜ」じゃワカラナイと思うんだ。

どうしたらいいだろう?まだ答えは見つからないけど、少しずつ経験してわかってきたことは、「教えてもらう」と「認める」ことがはじまりかなぁ。

「教えてもらう」は、無知の知を自覚しても、知の獲得を目的にしない。ヒトの気持ちは、その人しかわからないから、素直に耳を傾けるのがベストじゃない?

「認める」は、「じゃぁ、認めてやると」的上下関係をプンプン漂わせる、んなバカな。全くそうじゃなくて、上手い表現がみつからない、感触つかんでもらえますよね?

立ち位置とか考え方とか、コトバの表現とかを素直に受け入れる。そこに、相手の社会的地位、年齢、性別とかの「基準値」を、自分の頭のなかにインプットすると、それだけでバイアスがかかるから、捨象する。

こうやって自分のぐっちゃぐっちゃを、なんとかアウトプットしようと、愚考をめぐらしている。なんか、だんだん情けなくなってきた、文章を書いて自分いじめている文章マゾみたい(笑)

まだまだぜんぜんできていないなぁ。ホント、難しいよ。