スキャンはキャスター、これわかります?

何気ない会話から長期間かけて熟成されるコミュニケーションの妙を垣間見られるときもあります。

A:「シンクセルさんが来てはるし、キャスターのことを聞いてみよ?」
B:「それ、スキャンでしょ」
A:「あっ、そうそうスキャンやった〜(笑)」

一読されたかたは、何のことかさっぱりですよね。コレ、昨日お伺いした歯科医院のスタッフさんとの会話の一部です。

要約すると、Aさんは私に「スキャン」について尋ねたかったらしいのです。ここでいうスキャンとは、おそらく「スキャナの類」ではないかと思います(詳細は不明ですが)。

「伝わる!」説明術 ちくま新書(551)ところが、「スキャン」を「キャスター」とBさんに言ってしまったのですね。単に間違えたのではなく、「本気」でといったらいいでしょうか(笑)

では、なぜBさんがすぐに”スキャン”だとわかったのか?

ものごとは、一歩離れて遠くから見れば全体を見渡すことができます。しかし、単に全体を眺めただけでは、そこにあるものごと相互のつながりが見えないので、わかったことにはなりません。では、結局「わかる」とはどういうことか?私の考えでは何かが「わかる」とは、ものごとの相互関係が見えている状態だ、ということです。

『「伝わる!」説明術』 p.32

タネをあかしますと、Bさんは、

  1. 最近、Aさんとスキャンについて会話を交わした
  2. 「Aさんが、とてもユニークな発想をする人」と捉まえていた

という2つの事柄があって、この相互関係(引用が意味する相互関係と少しニュアンスは違う)によって、Bさんは「キャスター」を瞬時に「スキャン」に置き換えてツッコンでいるわけです(笑)

私が思うに2.がコミュニケーションの支えであり、2.を感受しているBさんは感度の良いアンテナをもっているなぁと感じ入りました。

毎日一緒に働きながらAさんの人となりをくみとり、その尺度をもってAさんが発するコトバを自分のコトバに変換して理解する。当たり前のような動作ですが、とても難しいなぁと、私は毎度頭を抱えてしまいます。コミュニケーションを追い求めてドツボにハマった自分もいるのですが:’-)

まず、Aさんに”関心”をもたなければ、「コトバでは表現できない要素」を察せられないと思います。反対にいえば、無関心のままなら、上のようなやりとりは生まれにくいかもしれません。

無関心の他には排他的もあげられます。と言いますのも、以前お世話になっていた会社で、「新卒採用と中途採用のミゾ」を感じるときが、たまにありました(今はわかりませんが)。

中途採用の方(全員ではないが)の第一印象や仕事ぶりで、勝手に判断してしまっていたのでしょう。当時の私は一度色眼鏡で見てしまうと、なかなか人物評を修正できない悪癖をもっていました。だから、その方々と自らコミュニケーションしづらくしていたことを覚えています。まぁ、今でもその悪癖は残っていますがorz

特にその会社は、新卒組の先輩後輩の関係がとても良好だったため、良い意味でも悪い意味でもドグマが形成されていたのではと振り返っています。

長期間かけて熟成された関係から生まれるコミュニケーションの妙を目の当たりにすると、あらためて「人対人」の醍醐味を味わえます。しかも、そういったものは、大げさな会話や大仰な身ぶりから発見できるのではなく、ほんのささいな日常会話から垣間見られます。

一方、熟成されたがゆえに居心地がよくなった、大げさに言えば「以心伝心」のところへ、それらを知らない(まだわからない)人が現れたとき、どう対応すればその人と漸進的な関係を築けるのでしょうか?

そのとき、さらに深化したコミュニケーション力が問われているのではないか?

自分の過去の経験と、今の自分を照らし合わせたとき、Bさんから今回学ばせたもらった次第です。