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読書にはそれなりの時間がいるはずで

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読書は消費?投資?お小遣いを回せないのつづき。

2.時間がナイ。家事の手伝い、子育て、家族サービス。

30代が本を読まない理由の2つのうち、2番目。フレーズだけつままれると、誤解をうけそうなので、先にお断りしておきます。以下について論じようなんて恐れ多いかと。あくまで実体験から想像しているヨタ話ということで。:-D

  • フェミニズムやジェンダー、家父長制のテリトリー
  • 良いのか悪いのかを述べているのではない

この前提を置くってことは、同姓の立場から論じようとしているのがバレバレ。まぁ、前置きはこれぐらいにして、まずは感覚的な見立てから。「なんというか、読書ってそれなりの時間がいるんでは」と。

本を読む人にとって、「いかに速く、より多くの本を読めるか」は、わたしのような若ハゲには、「いかに遅く、より少ない抜け毛におさえられるか」的悩みと同じで、永遠のテーマである。書店の棚をチラ見するだけでも、速読法や○○リーディング、××の読書法の類が雨後の筍であるのは周知のとおり。

わたしの場合、子供がいないという前提なので説得力が全くないが、パートナーには、「自分にとって読書は仕入である」と力説し、自分の部屋で毎日読書をする”合意”を得ている。「じゃ、むこうへ行くわ」と手を振って小さい家を数歩移動して”遮断”する。パートナーも慣れたもので、「じゃあねぇ」って感じだ。

しかし、実際のところ大多数のわたしと同世代はどうだろうか?少し長くなるが、『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』に興味深い一説があるので拝借。

高度成長期に普及して、1995年頃までは曲がりなりにも維持されてきた「サラリーマン-主婦型家族」モデル、つまり、夫が仕事をしてほとんど一人で家計を支え、妻が家事や育児を主に担うというタイプの家族は、その前提がリスク化するために、リスクフルな存在になっていく。『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』 P.140

すべての人がリスクフルになるのではなく(富裕層や勝ち組など)、上記のような「サラリーマン-主婦型家族」の形態を維持できる確率が低くなっているそうである。

今年の初めにこの著書を読んで、フト暴論に気づいたのだが、

「サラリーマン-主婦型家族」を維持できなくなるトレードオフとして、個人の時間を夫婦で共有する”時間軸”に移しているのではないか。

このあたり奥歯にモノがつまったような書きようになるのをご勘弁願いたい。というのも、論理関連をしっかり積み重ねて述べないと、ものすごい誤解が生じそうなので。やっぱり、書きながらジェンダーや社会学の知識不足だなぁと痛感する。

そもそも今回の愚考が浮かんだきっかけは、共同生活によってショッキングなギャップが山ほどあったのを一つ一つクリアした個人的経験から。

高度経済成長期の第四コーナーからバブル崩壊を経験した企業戦士ど真ん中の父親の働きぶりをみて育った自分には、「日常の時間を家族と共有する(イベントは別)」なんて考えたことがないので、未だに苦労する。

ひょっとすると、同世代の30代は、そんな団塊の世代を反面教師にして、個人から家族や趣味へと時間軸を移しているのかもしれない、なんてまた一つバカなことを考えた。

なんか過去最高のぐだぐだエントリーになったけど、自戒をこめてポストしておこうorz

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