diary

門外漢でも理解できる説明に感嘆

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顧客に対する自分の説明にふがいなさを感じつつ、どうすればかの先生(歯科医)のような説明ができるのかと頭を抱え込む。

今日は、打ち合わせに尼崎方面まで足をのばした。このクライアント(2つの医院を経営)とはよんどころない事情からおつきあいがはじまり、本日が第1回目の打ち合わせで、内容は今後のウェブサイトの更新について。制作から携わっていないため、慎重に議事を進めた。

その過程で頭の中の自分がつぶやく。「どうしてわかりやすく説明できないのか?」と。同時に、かの先生との「あの出来事」がフラッシュバックする。

先生のお話しは、いつ聞いてもわかりやすく明晰だ。方々で講演をされていて、今月末にはエジプト、翌年1月にはスイスの学会にてスピーチされるとのこと。

以前、この先生からスピーチの予行演習(15分程度)をおつきあいいただけないかと依頼され、1対1形式で受けたことがある。それが「あの出来事」。

寝ながら学べる構造主義門外漢のわたしにとって、テクニカルタームを含んだ治療技術そのものは理解できなかったが、言わんとする全体像はつかめた。

感想を求められ、「失礼を承知で述べますと、”素人のわたし”がメッセージを受け取れましたから、専門家の先生方は氷解されるのではありませんか」と述べたところ、穏やかに微笑んでおられた。

よい入門書は「私たちが知らないこと」から出発して、「専門家が言いそうもないこと」を拾いあつめながら進むという不思議な行程をたどります。(この定義を逆にすれば「ろくでもない入門書」というものがどんなものかも分かりますね。「素人が誰でも知っていること」から出発して、「専門家なら誰でも言いそうなこと」を平たくリライトして終わりという代物です。(中略))
よい入門書は、まず最初に「私たちは何を知らないのか」を問います。「私たちはなぜそのことを知らないままで今日まで済ませてこられたのか」と問います。『寝ながら学べる構造主義』 内田樹 (著) P.9

先生は「知らないこと」から出発しているのだろうか?仮にそうであったとしても、わたしは、”よい入門書”を目の当たりにしたにもかかわらず、「不思議な行程」を噛み分けられないところに自らの課題が潜んでいそうだ。

それにしても今日のクライアントといい、かの先生といい、「ウェブサイトの更新」の範疇から随分離れたマネジメントについての助言を求められると、「若輩なうえ何より開業のご先達ですから」と恐縮する。そして、つくづく自分がカバーしなければいけない領域に困惑してしまうのである。

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