頬につたる一筋の涙

陳腐な表現で恥ずかしいかぎりでありますが、混沌に少しだけ光が差したため、何よりも嬉しいのであります。

…..である,…..であるを積み重ねて、一見寛容であるかのようだが、実は固定してしまっているのは避けたいものだ。

何ら専門性を有しない己を恥としている自分が、どうすれば「世間に埋もれながら自分を高く持すること」ができるのだろうかと愚考し、無い物ねだりに終始している。

そんな矢先、さきほど読了した「やりなおし教養講座」に奇妙な安心感をおぼえたのであります。矜持を持つための第一歩に導いていただいたような気分であり、その安心感が涙となって頬につたっても、貪るように頁をめくった。

私はいま、文化の多元主義者、プルラリストということになっていて、いろいろ批判もいただいています。そのプルラリズムというのが自分の中に形づくられていくというのは、結局のところ、どこかに自らを固定しない、という形で「自分を造り上げた」ことになる、そう言えば詭弁に聞こえるでしょうか。一つひとつの価値観、大正教養主義にも、戦後民主主義にも、あるいはその他の様々な価値観にはいずれも悪いところもあるし、いいところもあるという意味で、どこかに絶対的に一つにしがみついてしまうことがどう考えても不合理だというような意識が私を造り上げたのだと言えば、詭弁とは違うことが判っていただけるでしょうか。「やりなおし教養講座」村上陽一郎 P.176

詭弁だとおっしゃる方もいるでしょう。わたくしも村上先生の主張に「安住して堕落してはならない」と戒めている。それでも、どこかに自らを固定しない、という形で「自分を造り上げた」という言葉に出会ったとき、目を閉じてじっと天井へ顔を向けた。

わたくしが冒頭の引用箇所で述べたかったのは、まさにこれに尽きるのであります。村上先生の言葉が正しいとか間違っているとかではありません。己がとるべき舵は五里霧中にあり、混沌としているなか、自分の規矩を少しでも「確認」できたと喜んでいるのであります。

そして、余りにも遅すぎる感は否めないが、”later specialization(直訳:普通より遅れて専門家を目指す)”を目標に精進しよう。

postscript;
レビューはのちほど。著書の内容や先生ご自身の「教養のためのしてはならない百箇条」に、”クセ”があると偏見しておりまして、ややもすれば、「教養」が揶揄されかねないなか、どうすれば愚昧が伝えられるか苦慮しているところであります。


Comments

“頬につたる一筋の涙” への2件のフィードバック

  1. すみません。

    また、バトンが回ってきました。お忙しく無ければお願いします。

    質問1  10年後何していますか?
    質問2  はずかし〜い、なさけな〜い 顔が赤面しちゃう話があったら教えてください
    質問3  いまだからいえる「時効だよ」ばなしを教えてください。
    質問4  あなたが一生忘れないだろう大切な恋愛話を教えてください (今でも、過去でも)
    質問5  大声じゃいけないけど「私こんなところあります」話を教えてくだすぁーい。
    質問6  感動したサービス、感動した接客があったら、お店の名前や会社の名前と一緒に教えてください♪

  2. よろこんでお引き受けします、と言いたいところですが、次に回せないバトンで恐縮です(笑)

    がんばります!