ワタシがなぜ「まともに見えない」ビジネスをするのか?

自家営業だからまともではなく、自分の頭で考えるから「まともに見える」のではないだろうか。

田舎で話していると、まとまな人が多いなあと思う。それもあって田舎暮らしを勧めたいのである。なぜ田舎がまともかといえば、自家営業だからであろう。最終的な責任は社長や専務ではなく、自分が持たざるをえない。そうなると自分の頭でよく考えるしかない。むしろ鶏口となるも午後となるなかれである。その自分の考えが不足なのは、神様のせいで、自分のせいではない。そう思えば、気が楽ではないか。『こまった人』 P.176

こまった人ウェブサイトの打ち合わせをしていると、(養老先生の高見を拝借すると)「自分の頭で考える」人が「まともに見える」と感じる。「見える」と「感じる」を加えたのは、あくまでワタシの主観的感想であり、およそ、「まとも」なんぞワタシごときに判断できる代物ではないからだ。もとより「まとも」が何なのかさえわからない。

というわけで前半部分だけを抜き出して、「自分の頭で考える」をワタシが想像するなら、「自己言及の矛盾」を問い続けることでなかろうか。

卑近な例として、ウェブサイトの更新をあげてみる。ウェブサイト更新用の文章を書くにあたり、「多忙ゆえに仕事に追われている」から「担当の順番と期限を決めてほしい」とクライアントが言ったとしよう。

もっともなことである。「それじゃぁ、誰が最初で、いつまでにしますか?」と、ワタシは問い返さない。それは、「社内の決定事項」と判断するからだ。置換すれば、社外メンバーとのミーティングでとりあげる議事ではない。

また、辛辣かつ身勝手なこちらの言い分として、「ウェブサイトの更新は"営業"ではないか。だから営業に期限をつけるようで、ワタシにはよくわからない」となる。

クライアントの風土や各人の立場は理解できる。それでもあえてノーガキをたれると、「(私の)会社にとって当たり前である」という主張が、他者に違和感を抱かせているということを、主張する当の本人が「自分の頭で考えている」かどうかである

事のついでにふれると、ウェブサイトの更新に対するワタシのスタンスはハッキリしている。それは、「ムリヤリ更新させない」である。だから、顧問料のように自動引き落としはしない。更新しないから請求もしないし、「請求したいがためにムリヤリ更新する」こともしない。

それじゃぁ商売あがったりだろと言われるが、「性分」なので仕方がない。その代わり「情熱のオン・オフ」は明瞭である。「情熱のオン・オフ」が明瞭であるから、「法外な更新料」を請求させていただく。

なぜ、ビジネス的に「まともに見えない」ことをするのか?

少し長い前提になるが、自分の頭で考える人は、ウェブサイトについて「問い」と「答え」を持っていて、その「自問自答」から発想した自己言及に矛盾がないかどうかを、ワタシに「投影」させる。そして、その人が運営するサイトは、順調であるとワタシは確信している。

ゆえに、勢いに任せてキーボードを腹蔵なく叩くと、それらの人のサイト更新をサポートするほうが、「より生産的で、より肉体的・精神的負担が少なく、より情熱的である」と愚考する(もしくは経験的に知っている)からである。

他方、上の愚考では、必ずしも満足に食っていけるわけでなく、「それじゃぁ本末転倒だろ、どうするよ?」と「自分の頭で考える」のである。