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カーリングとウェブ進化論

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トリノオリンピックがまもなく閉幕する。フィギア以外で私的に大騒ぎしたのは、スノーボードクロス、スピードスケート 団体追い抜き、そして今大会マイベスト競技は、カーリング女子。

blogosphereでは、ずいぶんまえから「カーリングがおもしろい」「解説の小林さんがいい」的秀逸なテキストがアップされている。technoratiで、「カーリング 女子」と検索すると、ポスト時点で18,356件。小林さんの解説と人となりはあちこちで語られているので、ここでは割愛。

一方、リアルな現象はというと、カーリングの問い合わせが殺到していて月1〜2回開く初心者向け教室には、2月に入ってから約200人の申し込みがあり、7月まで予約が埋まったようだ。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まるネットの「あちら側」と「こちら側」の好奇心が蠢動していくさまをウオッチしていると、4年前は発芽していなかった「総表現社会」の一端をかいま見たようだ。総表現社会の雄、民放は是非を問わずスポンサー色に偏ってしまう。かろうじてNHKはえんえんカーリングを放映できる。ちなみにリンク先の元記事は削除されている。たいへん香ばしい処置である。

「ブログとは「世の中で起きている事象に目をこらし、耳を澄ませ、意味づけて伝える」というジャーナリズムの本質的機能を実現する仕組みが、すべての人々に開放されたもの」に他ならないではないかと自問するとき、新聞記者たちの内心は穏やかではいられない。そういう心理はごく自然なものだ。『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』 P.147


自問していなければ、梅田望夫さんの解が選択されないだろうし、マスメディアからすると、自問の前提を是とするのかどうかが残る。ともあれ、引用箇所をトリノオリンピックの放映にトレースすると、"小さな溝"がとても興味深い。blogosphereのトピックと民放の押しぐあい。

NHKというOSがカーリングというアプリケーションを走らせた。そのアプリケーションと小林さんのコンテンツがコラボレーションして、電波にのった。電波にのった"表現"を、blogosphereのなかで、自由に編集されて、今度は「あちら側」にどんどん置かれていく。

もちろん、「あちら側」に卸された品は玉石混淆だ。しかし、数万人が「カーリング」という言葉を情報として放出したとき、「情報自身の淘汰」に少しだけ接触できたのではないだろうか。

4年前・現在・4年後を一本の線で結び、それぞれに存在したテクノロジーをカキコしたとき、4年後、オリンピックというコンテンツはどう扱われるか?妄想すれば、インターネットに流れる映像について、blogosphere(4年後にはそうよばれていないだろうけど)は自らの得意分野を音声で解説するか。トリップすれば、テレビ局は「一次映像」をインターネット放送局に卸売りし、そこに、解説したい人はこの指とまれもあるかも。「こちら側」は好みの"表現"を選択できるのではないだろうか。4年後がとても楽しみ。

多くの人が重要だと思った内容は必ず伝播していく。誰かが新しい、いいアイデアを書き込めば、社内のあらゆるところからそれに対する深いコメントが飛んできて、議論がどんどん進展する。[…..]一方、誰も関心を持たない内容は、その存在すら知られないまま、ほとんど誰からも読まれずに忘れられていく。読まれなかった情報は価値がない情報だったとみなされる。社員全員が書き込む厖大な情報が、そのように自律的に淘汰・選別され、粛々と処理されていくのだ。同P.85-86

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