無知の知と臆病 so what?

404 Blog Not Found: Professionals are those who dare

知れば知るほど無知を思い知らされ、力を出せば出すほど無力を思い知らされ、そして経験を積めば積むほど臆病になる。そうして「逃げ」たくなった時、やるかやらないかが「プロ」と「評論家」の違いなのだと思います。どちらも知識は大いにあるので、「それが出来ない」理由ならいくらでも思いつきます。

いつも感嘆する。愚生には輪郭が見えない叡智を蔵している。己が知らないことを知っていると想定する主体が、存在する。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演していた左官・挾土秀平氏が言っていた—–『職人は臆病であれ』と。でも評論家ではない。「逃げ」たくなるけど、結局何度でも「挑戦」している。

昨日、クラインアントのH氏とウェブサイトの打ち合わせをしていた。会話のなかでグループ会社の後輩を憂いておられる話におよんだとき、その感情がひしひしと伝わってきたので、厚顔無恥を承知でコメントした。

「so what?ですよね。やっぱり、"やる"か"やらないか"じゃないでしょうか。やれば、何かわかるかもしれないし、わからないかもしれない。なにもわからなかったということがわかるでしょうし。やっていれば、何かわかろうと頭が"考える"と思います。反対にやらなければ、わかるもわからないもありませんよね。イイ・ワルイじゃないから、それはそれでOKですし」

他人の頭のよさを羨んでいた。それはいまも変わらない。以前お世話になっていた会社は頭のいい人が多く、その人たちに囲まれて仕事をするのが、とてもこわかった。だからなにかにつけ誇張した。ときにはcomplainも。

「プロ」どころか「評論家」にもなれていない愚生がこのエントリーを書くとは片腹痛い。

自分を追い込むために記す。少しづつ「やる」が身体にしみわたってきた。やりながら、so what?と自問して、正解のない答えを見つける努力を怠りたくない。

無知の知と臆病,so what?

知れば知るほど自分の無力さに嫌悪する。逃げ出したくなる。でもやる。やって、so what?と問いかけ、また己の無能さを痛感する。