アウトプットの何倍ものインプット

マズイなぁって思ったけど、とってもステキな言葉に出会ったからマナー違反を承知で紹介、スミマセン:-}

アウトプットのレベルをみて、人の内面を判断してはいけない。その奥には、何倍も深遠な、その人がインプットしてきた世界がある。『ほぼ日手帳 2006/03/20の今日の一言』

ほぼ日手帳の今日の一言はとても楽しみ。毎日どんな言葉に出会えるのだろうってワクワクしている。で、先日出会った言葉がコレ。山田ズーニーさんの『おとなの小論文教室』からの引用みたい。

正直、自分には奥が深くてまだわからない。ただ、なるほどって同意できるし、自分もかくありたいって思う。だから、アウトプットのレベルで人の内面を判断するのはおこがましいって自分のものさしにつぎ足した。

これからこの意味を「わかる」ために模索してみようと思う。「何倍も深遠なインプット」って何だろう。アウトプットしたものとは違うその人の内面に接触するには、どんな対話をすればいいのだろう。

インプットとアウトプットのinequalityはとても複雑で、頭がわるい自分にはわからないことだらけだ。でも、なんとかひとつだけわかっている(つもり)のことがある。

それは、相手の「インプットとアウトプットのinequality」を「わかる」から出発して理解しようとしてはいけないということ。

「わからない」から出発して「わかる」の道筋を発見する———-そのための努力を怠らない。そして、相手にもいっしょにその道筋を歩いてもらえるように、わからないなりにも「自分の道筋」をしっかりと伝える語彙を身につけたい。

肝に銘じること。それは、「わかる」の道筋を発見でき、たとえ「インプットとアウトプットのinequality」がわかったとしても、自分がわかったと思っているだけではないかと疑うということ。そして、また次の「わからない」があるのを忘れないということ。「わかった」というゴールで立ち止まってはいけない。