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変わったときに変わる美しさ

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「ああ、あと何回この桜を楽しめるのかなぁ」とはじめて思った。陶酔でも刹那でもなく、ただそんなふうに感じた。わずかな衒いを否定はしない。なぜなのか考えてみるけどよくわからない。とにかく言葉がすうっとやってきた。わからないけど巡ってみる。蕾にもならないときから一本の桜を眺めている。その桜の前でたたずむ。どんな言葉が現れるのか。何もでてこない日、あふれでてくる日、しぼり出そうともがく日。

「文章にするときの言葉と文章になる前の言葉は違う」とある作家が言っていた。今もそうだ。これを書きながら、「桜の前と違うなぁ」と独り言つ。なぜ違うのだろう。言葉にならなくて、私の範囲の言葉でしか考えられないもどかしさ。もっとあるはずだと言葉で考えるのをやめる。私の中だけでの格闘技。身体にまかせる。ああ今まで気付かなかったことがこれなんだと身体が割れる。

「自分が生まれる前から、生まれた後も、そして死んだ後も目の前の桜は生きている」

何も括弧をつけてわざわざ気づくまでもない。あたりまえのこと。なのに今まで気づかなかった。ずっと「私が」観る桜なのだと錯覚していた。どうして気づかなかったのだろう。なぜはじめて気づいたのだろう。わからない。気づきたいから、わざと気づいたふりをしたわけでもない。今まで気づいていないふりをしていたか。気づかないと気づくの境目はどこなのだろう。

「私が」観る桜から「桜が」見つめる私に変わったとき、目の前の桜が変わった。古今東西、桜は変わるわけないじゃないかと「自分」が「私」を噛み付く。くだらないことを考えるな。いや確かにそのとおりだけど、やっぱり変わっちゃたよと「私」が「自分」へ反抗する。

そんなとりとめもない会話を交わしながら、「変わったときに変わる美しさってあるのかなぁ」と均衡を保とうとする「己」にむかって、「私」と「自分」が問いかける。

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2 Comments

  1. be-yanさん、コメントありがとうございます。

    すみません、おっしゃるとおりですね。互いの成長が感じられれば、幸せなのでしょうね。

  2. 自分自身の成長が、見る視点を変えていく。
    でも、桜も毎年同じではないし、成長の中で少しづつ変化をしていく。
    互いの成長が感じられれば、幸せなのでしょうか?

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