音声多重放送の露天風呂#2

フリ○ンのつづき。もとい、露天風呂の続き。二十歳組が手紙の話で盛り上がっているころ、私の耳は正面の50代にフォーカスロックされた。

  • A: 「今年の巨人は強いな」
  • B: 「強いな」
  • A: 「あの四番のリーとかいうやっちゃな。よう打つな」
  • B: 「そやな、リーがよう打つな」
  • A: 「二岡も三番で活躍しとるしな」
  • B: 「せやな、活躍しとるわ。おかげであいつや、ほら、あいつがでられんわな」
  • A: 「仁志やな」
  • B: 「せや、仁志や」
  • A: 「他にも矢野とか若いやつががんばっとるな」
  • B: 「せや、若いやつがええな」

見事な贈与。感嘆した。お二人ともゆったりとしゃべっている。目を閉じて聞いていると、まるで噺家が情緒あるきれいな大阪弁で話しているような情景がうかぶ。Bさんは、決して聞き流していない。要所要所に相手の話題が広がるように贈与していく。このあと、Bさんが阪神の話題をふり、リーがロッテにいたことから今年のロッテにと展開する。

こういった会話の仕方というのが年の功なのだろう。もちろん、ご自身の修練もあるのだろうか。仕事のなかで会得したのか、それ以外か。徳か。私には到底できないビヘイビアを目の当たりにして、尋ねてみたい衝動に駆られた。習うところが多い(すぎる)。とにかく、相手の言い分をそのまま返す。次にひろげていく。言い分をそのまま返し、いつのまにか自分のテリトリーに引き込む。これはよく見かける。そうではない。あくまで、Aさんが次に展開しやすいように返答し、ひろげていく。これは、Aさんも心地よいだろう。お互いフリ○ンをおっぴろげ、ええあんばいの風呂につかり、野球談議に花を咲かせている。こんな快感やめられん。Bさんもどうやら野球が好きなのか後半は、みずから話し出す。

この会話の息づかい、文字では伝えられないと地団駄を踏む。あたりまえ。会話の妙は、口から発せられる音声よりも、それ以外の非音声化されたメッセージに依拠する。非音声化、非言語化、よくわからん。とにかく非。返答する拍のタイミング、目線、身体のしぐさ。これらの息づかいは可視化されているようでされていない。何が可視化されてさていないかなんて、スカタンな私にはわかるわけないがない。感じようと、表向きはヌボーと装う。薄目で観察。むずかしい。

左の耳が、ドコモショップの娘の話なら、こちらはひたすら野球。そして、右耳の30代はスロットとパチンコで宴闌。左耳と正面の違いを考えながら、今度は右耳の30代にフォーカスする。あきらかに違いがある。いよいよ30代へ。