20年経とうが変わらない

ウォール街〈特別編〉何週間に一度襲いかかる手前味噌を発酵したくなる衝動。というわけでその衝動を書きつづってみる。今週末大阪のお客さまとの打ち合わせのあと里へ帰還。久しぶりに里のライブラリーを眺める。このライブラリーは私が大学から結婚するまで録画したVHS群。120分×3倍速。内容は、映画・ドラマ・スポーツ・F1・音楽・その他。本数は不明、数える気もない。まずパペポTVの「塚本7キロ」にロックオン。久しぶりに大爆笑。いやぁ、やっぱりオモロイわ。抱腹絶倒す。次に何を観ようかと吟味した結果、やっぱり世知辛い時節柄、ウォール街かと。

出世欲に燃える若き証券マンのバド(チャーリー・シーン)は、カリスマ的魅力をもつ富豪のゲッコー(マイケル・ダグラス)に取り入ることで、みるみるうちに実績をあげていく。しかし、ゲッコーの悪どく汚い稼ぎ方にやがて疑問を抱き始め、やがて反旗をひるがえす。オリヴァー・ストーン監督が、世界経済の中心であるウォール街におけるマネー戦争の実態を赤裸々に描いた社会派エンタテインメント。非常に大衆的な作りになっているので、株に疎い人でも容易に楽しめる。ゲッコー役のM・ダグラスは本作でアカデミー賞主演男優賞を受賞。また、C・シーンの実父マーティン・シーンがバドの潔癖な父親に扮し、怒とうのごとき存在感を示してくれている。ウォール街

もう何度というか何十回観たかわからない。1987年作。20年前に制作された映画は今日本を騒がしている事件と比べても色褪せていない。ゲッコーは全編にわたって「問いかけて」いる。ほんの些細な言葉ですら問いかけてくる。テルダー製紙株主総会での「欲」の演説。

“The point is, ladies and gentlemen, that greed, for lack of a better word, is good. Greed is right. Greed works. Greed clarifies, cuts through and captures the essence of the evoluationary spirit. Greed, in all of its forms. Greed for life, for money, for love, knowledge has marked the upward surge of mankind. And greed, you mark my words, will not only save Teldar Paper, but that other malfunctioning corporation called the USA.”

今だこの演説に対して問い返す新たな視座を獲得していない自分にがっかりする。何も成長していない。大学生の頃にこの映画に出会い、敵対的買収やジャンクポンド市場、企業経営に興味を持った。折しも長野智子さんがブログで触れている

村上氏とゲッコー(マイケル・ダグラス)、かぶりまくってます。言ってることは正論。でも、ゲッコーが、「いつまでも外部にいたって上はない。内部(インサイダー)になれ」と、バド(チャーリ-・シーン)に持ちかけるシーンように、彼らが踏み外してゆく瞬間が、今見直すと、なお一層リアル。20年という年月はたったけど、私たちが資本主義社会で突きつけられている問題は、ちっとも変わってないことがよくわかります。長野智子blog 「今ならこれ」

おっしゃるとおりアウトサイドからインサイドへ踏み入れる過程が圧巻だ。というよりもこの映画については終始興奮しっぱなしである。なぜか?登場人物みなが深奥なセリフをもっているからだ。ゲッコーやバド以外の人たちが織りなすさりげない会話にもハッとさせられる。だから一言一句聞き漏らすまいとかじりついてしまう。

しかし、あらためて首をかしげる。「資本主義社会に突きつけられた問題」なのだろうか?

無学の徒が厚顔無恥に述べると、「資本主義社会に突きつけられた問題」ではなく「問題が資本主義社会を構成している」のであって、放言すれば「問題」ではないのだと思った。そしてさらに推し進めれば、「ないよりはまし」であり、「それ(=資本主義)に変わるシロモノ」はない。

頓珍漢な妄想がわき起こってきたついでにもういっちょ腹芸をやってみる。バドにアウトサイドからインサイドへハンドルを切らせてのは、"Greed"ではなかろうか。もしそうだとすると、"Greed"は七つの大罪のうちのひとつである。七つの大罪は資本主義社会以前から存在した。ゆえに資本主義社会に突きつけられた問題ではなく、駆り立てる源泉に起因する。20年経とうが変わりはない。そして皮肉にも「資本主義社会」から脱構築するのもまた"Greed"なのではないかと愚考した。