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特捜検察

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特捜検察同一著者が2冊にわたって東京地検特捜部を上げたり下げたりしている。本書は上げている方であり、下げているのが『特捜検察の闇』。「闇」の有無によって特捜検察への洞察を使い分けているあたりが巧い。輝かしい業績と高い矜恃の裏側には「闇」も潜んでいるわけで、いわば一心同体なのかもしれない。「官僚」でありながら背後に「国民」を意識しているから複雑な心情を抱いてるのかと勘繰った。本書に登場するノーブレス・オブリージュたちにとって「正義」と「政治」とはどういうものなのか尋ねてみたくなった。フィロソジカルな正義ではなく現場に携わる検事が賭する「裁き」は一体何か?それを引き換えにしてまでも妥協せざるを得ない政治とは私に何を問いかけているのだろう。そして、ややもすればファッショになりかねない絶大な権力に対してどうやって手綱を締めているのか。まったく見聞したことのない世界の内情にただただ引き寄せられた。

政財界中枢の汚職や脱税を追及する東京地検特捜部.「巨悪」をあばく検事集団の活躍はしばしば脚光を浴び,華々しくみえる.しかし,内実は苦闘の連続で,組織は浮沈をくり返してきた.リクルート事件,ゼネコン汚職事件を密着取材した敏腕ジャーナリストが,戦後すぐの特捜部成立から現在にいたる足跡をヴィヴィッドに描く. 『特捜検察』

東京・大阪・名古屋の地方検察庁に設置されている特別捜査部、特捜部には全国各地から選抜された捜査のプロたちがあつまってくる。彼らは高度な法律理論と卓越した捜査能力を駆使し、脱税や汚職・詐欺・横領などの事件を摘発する。一人一人の検察官は一つの役所としての権能を有している。よって彼らは独任官庁であって、検察庁はその独任官庁の集合体といえる。検事どうしの競争は激しく、定時に退庁するものはまずおらず、最終電車に飛び乗り土日出勤も日常茶飯事である。

そんな彼らを支えているものは何か?それが強烈なプライドだ。最難関といわれる司法試験に合格し、さらにそこから特捜部に勤務できるのは数人であることから法曹界のエリート中のエリートと目される。

本書は

  1. 日本の黒幕
  2. 首相の犯罪
  3. 特捜部の誕生
  4. 国滅ぶとも
  5. 不透明な国家

の5部構成だ。登場する事件は、「ロッキード事件」「昭和電工事件」「リクルートコスモス疑惑」「東京佐川急便事件」「野村證券・第一勧業銀行総会屋事件」「ゼネコン汚職」などである。それらの事件にたずさわった検事たちが政治家、企業人、フィクサーと丁々発止にやり合っていて、その様が緻密な取材活動によって描かれている。いずれの事件も贈収賄を取り上げている。ところが、政界が絡む贈収賄の立件がいかに困難であるかが本書を読めば法律に無知な私でも理解できる。

戦後まもないころ、収賄罪で起訴された政治家に無罪判決があいついだことがある。裁判所で「賄賂ではなく政治献金だと思った」という弁解が認められたからだ。以来、検察には、国会議員を有罪に持ちこむには業者側からの「請託」(依頼)を明確に立証し、受託収賄罪で起訴しなければならないという不文律ができた。同P.56

収賄罪は「疑惑」としてマスコミに報じられた時点で証拠が消失(隠滅)していると想定しなければならない。収賄罪でなくてもサーバーから数十万通のメールが削除されるなんて当たり前の話だ。だから「人に聞くよりモノを見よ」「捜査に行き詰まったら証拠品を見よ」が口癖であり、帳簿、伝票、領収書などから金の流れを徹底的に解明していくのが捜査の基本だ。事件の構図を描いているからといって捜査の初手から「自白」を頼らない。しかし「請託」があったことを明確するのはそう単純ではない。なぜなら「一定の職務行為をするように頼む」ことが成立しないといけないからだ。職務行為以外では請託にならない(今の法律がどうなっているか愚生は寡聞にて知らない)。よってどのように職務行為と認定していくか—–ここに捜査手腕が問われる。

本書に登場するような事件を捜査する場合、独任官庁やセクションは排除され特捜部総動員態勢となる。ただし、特命任務や個々に従事している捜査について、現場の検事同士は情報交換しない(ヨコの交流がない)。すべての情報は、上司である主任検事へ集められる。主任検事はオーケストラの指揮者のようであり、頭の中にある構想をもとに個々の検事をどう配置し動かすかを決定する。その采配ひとつで事態は180度変わる。

ここまで強力な集権体制を構築できるのは首脳会議によって捜査方針が決議されるからだ。

首脳会議は検察庁の最高意志決定機関だ。政界にかかわる重要事件の捜査方針を決めるときはかならず開かれる。結論は多数決で出されるのではなく「検察一体の原則」にもとづき、全員が一致するまで議論を尽くす。同P.5

独任官庁の彼らにとって、たとえ上司が反対しようとも自分が起訴した案件は原則有効である。時には捜査方法をめぐり上司と侃々諤々となる。しかし、こと重要事件がふりかかると「検察一体の原則」が採択され、一度「やる」と決めれば総動員態勢で捜査が徹底的におこなわれる。

それにしても本書に登場してくる人物たちの"言葉"に圧倒される。

「いま、この疑惑の解明に着手しなければ、検察は今後二〇年間、国民の信頼を失う」(ロッキード事件の首脳会議 東京高検検事長[実質検察No.2] 神谷尚男氏)

「その壁の後ろに国民の目がある。国民がじっと見ている。そのつもりでやってください」(ロッキード事件 丸紅前専務伊藤宏氏の取調)

「東京地検検事正の高瀬でございます。このような形でお目にかかることを残念に思います。お忘れかも知れませんが、二十数年前、検察庁がまだ木造二階建ての庁舎だったころ、関西の地検から依頼され、ある事件の参考人として田中さんにお出でいただいたことがあります。やはり夏の暑い盛りでした。調べが終わって田中さんが扇子をぱたぱたやりながら『検事さんの仕事は大変なものですなあ』と言われたのを、いまも感慨深く覚えております」(ロッキード事件 田中角栄前首相 取調冒頭)

「はーっ、そんなことがあったのか。忘れちゃったな。覚えておればよかったなあ」(高瀬検事正の挨拶への返事 田中角栄前首相)*ちなみに田中角栄元首相は霞ヶ関の官僚たちの入省年次や経歴をそらんじたといわれる。人たらしの名人とも。

「東京地検特捜部の捜査が完璧なことは重々知っている。特捜部が捜査した事件が無罪になることがないことも十分知っている。しかし総理総裁だった私の言うことも聞いてください」(ロッキード事件 田中角栄前首相 逮捕状を前にして[逮捕される以上自民党を離党しなければならず、その離党届を書きたいと願いでる])

「検事さんは、いったいどの政治家を立件しようと思っているんですか」(リクルート疑惑 江副浩正氏 取調)

「誰を立件するとかしないとか、罪が重くなるとか軽くなると、そんなこと歴史の大きな流れの中ではとるに足りないことです。あなた、生きてあと何年ですか。せいぜい三〇年でしょう。せめて死ぬときぐらいはウソを抱えずに死にたいと思いませんか」(先の江副浩正氏の質問に対して)

まだまだほかにも上記のような言葉というか台詞のような会話がたくさんある。筆者の微々にわたる取材の賜なのだろうが、ほんとうにどこまで言ったのかもちろん私には知るよしもない。しかし、本書を読んでいると知る知らないかなどはどうでもよく、むしろ「国家」「国民」という言葉が文字どおり"さらっと"口にされる情景が浮かんでくる。

愚生の場合、「日本」とか「歴史」なんて言葉を口にすると何か衒いというか知ったかが入った感じで時に自己嫌悪に陥る。しかし、ここに登場する人たちはみな強烈な矜恃を持っているのだろうということが会話からも推察できる。

そういえば先日の村上氏の記者会見でも、「日本はうんぬんかんぬん」という言葉があった。元通産官僚としてM&Aの法整備に粉骨砕身したと聞くと、「自分が日本の株式市場を変える」「日本の企業統治を根底から変える」と自負していたのだろうか。抽象的な言葉に向き合ったとき、それを文字どおり単語ととらえるか、意味づけした事象ととらえるか、言葉と己の距離を痛感させられた。

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