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[Review]: 知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ

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知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社プラスアルファ文庫)

わかりやすい。以前レビューした『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』がコンサルタント向けなら本書は読者を限定していない。「MECE」が平易な文章で語られている。ただし、読者を限定していないと言ったものの誰でも読みそうなという意味ではない。「自分の頭で考える」という目的を持った人であれば限定していないというところか。というのも本書の目次が「いかにも」って感じでツボをおさえたタイトルなので、本屋で手に取ればパラパラとめくりたくなると思う。

常識にとらわれた単眼思考を行っていては、いつまでたっても「自分の頭で考える」ことはできない。自分自身の視点からものごとを多角的に捉えて考え抜く ——それが知的複眼思考法だ。情報を正確に読みとる力。ものごとの筋道を追う力。受け取った情報をもとに自分の論理をきちんと組み立てられる力。こうした基本的な考える力を基礎にしてこそ、自分の頭で考えていくことができる。全国3万人の大学生が選んだ日本のベストティーチャーによる思考法の真髄!

『知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社プラスアルファ文庫)』 苅谷 剛彦

本書の目次は次のとおり(小項目は割愛)。

  • 序章 知的複眼思考法とは何か?
  • 第1章 創造的読書で思考力を鍛える
  • 第2章 考えるための作文方法
  • 第3章 問いの立てかたと展開のしかた-考える道筋としての<問い>
  • 第4章 複眼思考を身につける

「国民が低金利、日銀総裁は高利回り」や「日本は平等主義社会」といったステレオタイプ的文句に出会ったとき、「ああそうか」と自分の頭で考えなくなる停止が始まる。「常識」にどっぷり浸かったものの見方・考え方を「単眼思考」と呼ぶなら、本書の「知的複眼思考法」はその対極にある。では「知的複眼思考法」とは何か?

「情報化の時代」とか「IT革命」といった決まり文句の発想にながされることなく、その事態を自分自身とのかかわりの中でとらえ直す複数の視点を持つこと。そこから自分なりの考える力をはたらかせていく方法を「知的複眼思考」(場合によっては簡単に「複眼思考」)と呼ぶのです。同P.27

ステレオタイプから抜け出して、それを相対化する視点を持つことがなにより重要である。ただ一口に「知的複眼思考」といっても、その「仕方」がわからなければにっちもさっちもいかない。その「仕方」を本書は説明している。

第1章では、思考力を鍛えるには読書が肝要だという視点から「創造的」読書を提案している。「創造的」とつくからには普通の読書と何か違うのかと想見させるあたりがうまい。とはいえ、「読書=知識」と位置づけてしまうと「単眼思考」から脱却できない。なぜなら、そこには「十分な知識がないのでわからない」「もっと本を読めば、わかるようになるだろう」という「知らないから、わからない」という図式が成立しているからだ。この図式を突き止めていくと、「唯一の正解」を求める行動へと駆り立て、原理主義的な態度へとつながってしまうおそれがある。たとえば、今このレビューを書きながら、「じゃぁ、知識がなくてもいいのかよ」とつっこむのが「単眼思考」かもしれない。違うか、揚げ足とりかな(笑)

次に創造的読書を身につけたとしても即座に「知的複眼思考」が宿るわけではないあたりが体をむずがゆくさせる。「知的複眼思考」には多様な視点を求められる。その多様な視点の出発点は「疑問」である。ただし「疑問」を持ったからといって、それが「考えること」につながるかというとこれまた短見である。

「どうしてだろう」「なぜだろう」といった疑問を感じても、そのままにしておいたのでは、考えることにはつながらないからです。そこで重要となるのが、どうしたら疑問を考えるための<問い>に変えていけるのかということです。同P.178

「少しヘンだ」「不思議だ」といった「疑問」は感じたり思うものだ。それに対して<問い>は立てるものである。ここに千里の径庭がある。「疑問」だけでは次へ進まない。時と場合によっては、「そのままにしておく」ことができる。しかし、<問い>は答える行為を前提にしている。そこから「考える」につながっていくわけである。

ウェブサイトの仕事をしていると、たまに「畑違い」の依頼がとびこんできて面食らうことがある。正直嬉しい。最近では「社員の教育」について依頼されることもある(いや正確には依頼ではないか….しっかりと請求してないわけだから(苦笑))。無知蒙昧の輩が人を教育するとはおこがましいと後ろめたさを感じつつも、己が社会から必要とされる喜びと充実に浸ってしまう。そして、そんな機会にめぐりあったとき、私はあまり「仕事」の視点から社員の方々と接しない。むしろ、本書のような書籍を紹介し、その本自体を議論してみる。その試みに重きをおく。

例えば本書をみんなで読んでみて、「ここの記述は?」とブレインストーミングし、みなさんが振り絞った達識を今度は「仕事」にあてはめてとらえてみる。すると、「どんな問いを立てる必要があるか」「礼儀礼節のなかで何が足りないか」「相手に何を訴求すればよいか」「何を聴き取ればいいか」といったことをおぼろげにアウトプットできる。なにより参加したメンバーの「知的複眼思考」の工程が俎上に載る。それがブレインストーミングの醍醐味だ。俎上(そじょう)に載せるには「言葉」に変換しないといけないが、身ぶり手ぶり・表情といった身体から発する信号からも推察できる。この作業によって「感度」を少しでも共有して上げられるのではないかというのが今の私の仮説だ。

もちろんかなり帰納的推論も混じった玉石混淆の議論になることもしばしばで、時に「沈黙」もある。しかし、「仕事」からはずれて「思考(法)と感(じ方)」そのものを題材にあてて、「あーでもない、こーでもない」と答えのない時間に身を置くのも一興だと思う。

そして、その「あーでもない、こーでもない」なかからでた視点や着眼を「仕事」にフォーカスしたとき、今までとは違う「構図」に気づくこともある。

そんな「気づき」を与えてくれた一冊だ。

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