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[Review]: 本を読む本

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本を読む本 (講談社学術文庫)

なぜもっと前に出会わなかったのだろうかと後悔させる一方、出会ってほんとうにありがとうと感謝した本書。1940年に米国で出版。それ以降世にでた「読書術」の類の原書ではないかと独断するぐらいのめりこんだ。正直、私の「読書」は変貌した。私が体験的に紆余曲折してきたことも書かれてあるが、あくまで自己流であって己の中で体系化されていなかった。しかし、本書によって「私の読書」の基礎工事は完了に近づいた。書物と「対話する」とはどういうことを意味するかを解説した一冊である。

本書は、1940年米国で刊行されて以来、世界各国で翻訳され読みつがれてきた。読むに値する良書とは何か、読書の本来の意味とは何かを考え、知的かつ実際的な読書の技術をわかりやすく解説している。初級読書に始まり、点検読書や分析読書をへて、最終レベルにいたるまでの具体的な方法を示し、読者を積極的な読書へと導く。単なる読書技術にとどまることなく、自らを高めるための最高の手引書。

『本を読む本 (講談社学術文庫)』 J・モ-ティマ-・アドラ-, V・チャ-ルズ・ド-レン

読書の目的には知識のための読書と理解のための読書がある。この二つは明確に区別されるときもあればそうでないときもある。時には補完関係を築く。たとえば、ある一冊の本を読み終えたとき、「知識(あるいは情報量)がふえたけど、理解できなかった」ということもある。さらにふみこめば、「わからなかったという事実が理解できた」という場合もある。

知識のための読書であろうと理解のための読書であろうと、肝心なことが一つある。それは、自分の理解を超えた本を読むときこそ、読み手は書かれた文字だけを手がかりに、その本に取り組まなければいけない。そこでは外からの力もかりてはならない。読み手が「浅い理解から深い理解」へ読み手自身を引き上げるような読書が必要なのである。

そもそも読み手の理解を深めるための読書とは何だろうか。それにはまずはじめに読み手と書き手の理解の深さに差があり、書き手には読み手よりも深い洞察があることを認識する必要がある。その落差を克服するための読書が「積極的読書」である。

「読書」とは「学ぶ」ことである。そして「学ぶ」という要素は二つに分解される。ひとつは「知識を得る」であり、もうひとつは「わからなかったことがわかるようになる」である。同じ学ぶでもこの二つには大きな違いある。

考えることは学ぶことの一部にすぎない。ものを学びとるには感覚や想像力をあたらかさなくてはならない。観察力や記憶力も必要だし、目に見えないものは想像力で補わなければならない。「発見」の過程ではこのような精神活動が重視されるのに、読むこと、聞くことによって「教わる」場合には、とかくそれが過小評価されるきらいがある。詩を書く人には想像力が必要なのに、その読み手には必要ないと考える。だが、実は読書技術には、「手助けなしの発見」のために必要な技術が、すべて含まれているのである。鋭い観察力、たしかな記憶力、豊かな想像力、そして分析や思考によって鍛えられた知性、これらすべてが要求される。というのも、理解を深めるような読書は、本という教師がついてもいても、本質的には「手助けのない発見」と変わらないからである。

『本を読む本 (講談社学術文庫)』 J・モ-ティマ-・アドラ-, V・チャ-ルズ・ド-レン P.24

この手助けのない発見のための読書—–積極的読書に必要な読み方について著者は四つの読書レベルを設定している。

  1. 読書の第一レベル 初級読書
  2. 読書の第二レベル 点検読書
  3. 読書の第三レベル 分析読書
  4. 読書の第四レベル シントピカル読書

読解力のない私を直視する良い機会になった。私の読書レベルはせいぜい第二レベルであり、それも第二レベルにさしかかった程度だ。分析読書までさらなる時間と修養が必要である。ましてやシントピカル読書なんて夢のまた夢だろう。まずは分析読書をしたくても、まさに「読み手と書き手の理解の深さに差がある」ことすら認識できておらず、よって何が足りないのかすら自分で理解していない。己を引き上げようにも「落差」を把握する出発点に立っていなかった。しかし、本書は「読書」についての「学び」を私に間違いなく与えてくれた。

分析読書に必要な読み方、書名から何が書いてあるか類推し過去の経験と照らし合わせて本を分類し、その本の構想とプロットを数行にまとめてみる。そして筆者の意図を見つけ出し、キーワードや専門用語、特殊単語の意味をつかんでいく。さらに、単語から文章へと目をうつし、キーセンテンスや命題を見つけ推考し、筆者の主張の根拠となる論証を発見していく。そこまできてようやく著者の解決はいったい何なのかを検討する。

そしてそれらの分析を終えてからいよいよ本を正しく批評し、著者に賛成するか、反論するか、妥当かどうかを検討する。このときには著者の主張のなかで、何のどういう理由をもってして自分が推論したのかを明示しなければ著者との知的議論(本との対話)にはならない。

  • 著者の知識が不足しているということは、著者が解決しようしている問題に必要な関連知識が十分でない
  • 知識に誤りがあるということは、事実に反することを主張している
  • 論理性に欠けるということは、推論に誤りがある

これらは著者に反論するときのポイントである。どういったところが論理性に欠けているから推論に誤りがあるのか。知識に誤りがあるのなら、どの点が誤っているから事実に反しているのか—–このように著者への反論をひとつひとつ明らかにしていく作業が分析読書である。

これは「本を読む人」のための本である。「これから本を読みたい人」のための本でもある。つまり、「読む」ことによって知識を得、理解を深め、すぐれた読書家になりたいと思う人のために書かれた本である。同P.14

本書冒頭の言葉だ。私はこの文のなかの「本」を人へ「読む」を対話へ変換して読んでも、深い洞察に満ちあふれた素養を堪能できると思う。

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