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立ち飲み屋で望外の幸せ

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京都へゆく。ウェブサイトの打ち合わせを"数十分"(毎度のことながらすごいなぁと院長先生に感嘆する)で済ませたあと立ち飲み屋へ行きませんかとお誘いをうける。もちろんよろこんでお受けする。当初院長先生は1時間程度のおつもりだったらしい。ところが因果律が作用したのか、スタッフの皆様が合流する。結果的に院長先生におわび申し上げないといけないぐらいエライことになった。最初にお断りしておくと私は愚昧であるがゆえ、わかりやすく伝えたり、己が考えているホニャララを伝えることができないという致命的欠点を有している。改善を試みるが未だ達意に至らない。それでも立ち呑みという私にとって最高のシチュエーションのなかで酒を酌み交わし昨今の歯科医院事情というものを少しばかりスピーチさせていただいた。自分でも何をしゃべるのか待ちかまえながらわからないまま率直な気持ちを口から滑らせてもらった。

「予防的」というのは、社会的トラブルを「事前に回避する」ためのふるまい方の習得にリソースを優先的に集中させる考え方である。「対症的」というのは、トラブルが「起きた後」に理非をあきらかにする信賞必罰制度の運用を優先的に配慮する立場である。誰が考えても分るけれど「予防的」なシステムの整備と運用に要するコストは、「対症的」なシステムの整備と運用にかかるコストよりもはるかにわずかで済む。内田樹 「銃と弁護士」

なぜこれを引用したのか。少し回り道をする。現在、コンビニよりも多いと言われる歯科医院を分母にして私が支援しているクライアントを分子にすれば、限りなくゼロに近い比率だろう。それでもあえて無謀を承知で帰納的推論を愚考する。

昨今の歯科医院の喫緊の課題は二分法になっている(と思う)。つまり「対症的」と「予防的」である。適切な単語でないかもしれない。「HOW TO」と「WHAT」と置換してもいいし、「結果」と「仕方」といってもよい。何を言いたいか。誤解のないように弁解すると院長先生が判断すれば私はどちらでもよい。肝要なのは「将来構想と収入の天井」を把握しているかだ。

「対症的」とは「どうすれば来院者数が増加するかという"やり方の結果"を知りたい」というスタンスである。その医院の治療水準うんぬんの問題ではない。字面でいけばコンサルタントが得手するところの「こうすうればレセプト枚数が増えますよ」的処方である。グッズや説明ツール、患者にわかりやすく説明するマニュアル、いわば神田正典先生的マーケティングアプローチである。防犯カメラを街のあらゆるところに設置すれば犯罪が減少すると訴求するやり方と類似している。これはこれで医院経営の増収をもたらす可能性があるから魅力的である。なにより「数値的にも測量できるし目に見える」から安心だ。実際巧くやれば増患増収である(あっ、私が愚考するデメリットは内緒)。

他方、「予防的」とは内田先生の引用をテンプレートとして利用すると、「来院者(のニーズ)を事前に察知するためのふるまい方の習得にリソースを優先的に集中させる考え方」である。鹿児島県のある地域において少年犯罪が他地域よりも著しく犯罪が減少したやり方である("声をかける"よう目を配らせた結果がもたらした)。ちなみにこの後者を選択した場合の治療水準ならびに人財(材ではない)水準が他医院より劣勢である歯科医院を私は寡聞にして知らない。言い換えれば何を言いたいか—–あとはご推察におまかせする。この予防的、もしくはWHAT、仕方を医院全体が一体となって体得していくのはたいへん困難な障壁が待ちかまえている。なにより数値化できないし目に見えない。いかに「感度」を高めるかに焦点を合わせる。主語が「私」であるかぎり、来院者は痛痒を感じない。「私」ではないところに醍醐味が潜んでいる。グロテスクに言い散らせば、「誰から給料をもらっているか」も問いかもしれない。なぜ困難か?

「あっ、あの店員さんに尋ねてみよう」と思う「私」をロジカルに説明できないように、「オープンマインドが発している何かしらの信号」なるものがその人(もしくは医院全体)に伏流しているのである。言い切ってしまってすみません。でもそういうものだと思う。何だかわからないけどここのお店は、私が聞きたいことや欲望していることを「欲望」していそうだなぁとお客に感じさせるふるまいだと思う。連立方程式のような解はなくて、あーでもないこーでもないを来院者に見てもらい感じてもらう急がば回れだと思う。あーでもないこーでもないのプロセスをどれだけチーム一体となって耐えられるか。

愚生の愚考が的を射ているかどうかはわからないけど、悲しいかな私は前者を提供できるほどノウハウを持ち合わせていないし器用ではない。ただただ魯鈍を自覚しながらワケワカメの話でも受け入れてもらえるのであれば、淡々と「話すようで聴く」だけである。これほど必要とされる瞬間を感じられる望外の幸せはない。本当に深謝。

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