湖国の風

私が「私」とどう対話できるかだ。その対話に必要なのが他者であり、それが今回はたまたま選挙であった。

今後の県議会などとの波乱を暗示するようにこう締めくくった。「施策は知事だけで決めるものでもない。議会制民主主義の中で進むものだ」朝日新聞 2006年7月4日付 湖国の風(上) 國松善次氏のコメント抜粋

「議会制民主主義」という用語が言葉遊びのように映るのは私の宿痾だろう。もし社会の通弊たる宿痾であれば、今回の結果は生まれなかったように思う。私が政治に関心をもたず参加してこなかった代償としてひとつひとつのコメントが空虚な音と化して私の中を抜けていく。圧倒的多数の安定した議会運営をして議会制民主主義に直結できる知性は私に宿っていない。だから選挙結果をうけて社民党党首が発した「滋賀県民の良識ある判断」というコメントにひどく嫌悪感を抱いた。生な言い方をすれば"むかつく"。もし私が社民党党首と同程度の見識をもっていれば痛痒を感じなかった。しかし、この言葉は上から下へ見下したかのように私を卑屈にさせる。

良識とはなにか。教えてほしいとはいわない。しかしほんとうに適切な意味として選択したのかを問いたい。党もしくは党首の思考と行動は「良識」があるという前提から出発しているのではないかとひがんでしまう。良識かどうかなど私には判断できない。なぜ判断できないか。理由のひとつ、今日の日経新聞社説が示唆に富んでいる。

今年1月、住民団体が県民7万5000人の署名を集めて新駅建設に関する住民投票条例の制定を直接請求したが、滋賀県議会はこれを否決していた。一部議員を除いてオール与党化した地方議会では、一度決めた公共事業を大幅に見直すことは難しい。今回の選挙結果は、そうした県議会のあり方への警鐘でもあろう。環境社会学者である嘉田氏には行政運営の経験がなく、その政治手腕は未知数である。県議会に基盤がないなかでの船出となるが、議会側も新知事とのいたずらな対立は避けるべきだろう。民意がはっきりした新幹線新駅の建設については一時事業を中止し、計画の根本から再検討する必要があろう。日本経済新聞社 2006年7月4日 『社説2 大型事業の再考求めた知事選(7/4)』 抜粋

議会は与党化している。相当厳しい議会運営が待ち受けていると素人でも予想できる。投票前に相当悩んだ。その状況下、6月27日付朝日新聞滋賀版には今から考えると「変な」調査結果が掲載された。「新駅建設に反対が6割を超える」という結果だ。しかし落ち着いてこの記事を読むと、國松善次氏の県政に不満がない人、支持している人も含まれていた。「ねじれ」があった。私はこの調査結果を一瞥したとき、野中広務氏の京都政界時代の京都新聞と同じ手法かと訝ったがほんとうのところは知りようもない。とにかくそういう"新聞社の調査結果"が掲載された。それだけで十分だった。

「記事が出た翌日から風を感じた。手を振っても、有権者の手の上がり具合が違ってきた…..」朝日新聞 同抜粋

國松善次氏曰く、その調査結果が出た翌日からおかしくなったそうだ。負け惜しみかもしれない。

たかが一票と重々理解しているつもりだ。とはいえほんとうにこんな「よじれ」に投票してもよいのか。仮に当選されたとして、議会が紛糾して今以上に停滞してしまったとしても私は我慢できるのか。失望しないか。それらと琵琶湖再生の願いを天秤にかけてみて何を選択するか悩んだ。

ひょっとするとJR東海は損害賠償を請求するかもしれないし、となると新知事は新たな選択をせまられる可能性も否定できない。なるほど「もったいない新幹線新駅凍結」という正論を述べる方もいらっしゃる。事実、新幹線新駅は請願駅だ。住民側が望んでいた。JR東海の次の一手や議会運営などは社民党党首であれば容易に想定しているだろう。不安定も折り込みずみ(のはず)。ならば社民党の実体はどうなのか。社民党はよじれを抱えた議会運営について適切な手をさしのべたり、県民に関心をもたせつづけるだけのパフォーマンス能力を有しているのか。

言葉遊びに興じたい。今回の知事選を自己分析する。結論から述べると選挙が私に「公正」を問いかけたのだと思う。大人がいう「資本主義社会」の日本には欧米とは違う「公正」があるのか(感覚的に錯覚しているかもしれないが捨象する)、「じゃぁ、日本の公正って何なのだろう」って自問自答した。「公正」について合意形成できる理路はあるのだろうか、もしそこに情緒が関与するならばどういう情態か。その考察を経て新幹線新駅問題は私にとって公正ではないと判断した。他方、嘉田由紀子氏側にも是としない政策が含まれていた。そうした自己満足的愚考を積み重ねつつも一歩踏み込んだ判断をできない暗愚が私のなかにあった。暗愚とは(不安定を招くと承知しているのに)シングルイシューで判断し、その判断を検証する「私」を喪失していたことだ。だから社民党党首の「良識」に露骨なむかつきを覚えた。なぜならそれに対してクールに反論できる私がいない事態に気づいたからだ。選挙や議会制民主主義はあくまでネタ。そのネタをどのように味わうか、言い換えれば私が「私」とどう対話できるかだ。その対話に必要なのが他者であり、それが今回はたまたま選挙であった。

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作成者: thinksell

creativity = chaos chaos = creativity Embrance it or die. フリーランス。開業から歯科医院のウェブサイトを制作していますが、いつの間にか歯科医院のデザインを提供している、らしいです。 自己評価は口八丁で綱渡り。やっぱり餅は餅屋が最適です。

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