[Reivew]: 「わからない」という方法

「わからない」という方法 (集英社新書)

「わからないからやる」。これはあまり使われない。「わからないけどやる」または「わからないけどやらされる」と言う。順接ではなく逆接。順接なら「やらない」のはず。「わからない」と「やる」の間には懸隔がある。

両者はたいてい結びつかない。結びつかない実情が日本社会。日本社会は「わからない=恥ずかしい」という「恥の文化」と「二十世紀病」を結合させた。そこには「ぐずぐずしているだけでなにも始まらない」という膠着状態が出現。

「いろいろなことをやりたい」と思ったら、その方法は一つである。「新しいことをやりたい」と思った時も、その方法は一つである。「いろいろなことをやりたい」と思うのは、なにをしてよいのかがわからないでいるからである。「今までとは違う新しいことをしたい」と思うのなら、その時、「今まで」は壁にぶつっかっているのである。つまりは挫折しているのであるから、そこから脱出する方法はひとつしかない。「挫折している自分自身」を素直に認めることである。挫折を肯定し、そこを「スタート地点」として設定しなす—–ただそれだけのことである。

『「わからない」という方法 (集英社新書)』 橋本 治 P.35

この「スタート地点」が「わからない」。「わからない」からスタートして、「わかった」がゴール。そしてスタートからゴールまでの道筋が「わかる」。

「スタート・道筋・ゴール」までを書き込んだ地図を手にしたとき、「わからない」は思索の「方法」となる。ところが多くの人は「わかる」を「スタート地点」に設定してしまう。「わかる」をスタートにすれば道筋がなくなるから「わかった」のゴールへ到達しない。

二十世紀は「わかる」からスタートして「正解がどこかにある」と信じた。ゆえに”理論”を求めた。ひとたび理論がないと気づくとあわてふためく。スタートから先は「わからない」に。行き止まり。いつまでたっても「わからない」が「方法」にならない、「方法」として採用する決断ができない。「わかる」を当然とすれば、「わからない」とき、「やらない」理由が正当化されていくつもあがってくる。「理論」がないのだから。

今の話に難しい単語はなにもない。なのにめちゃくちゃ難しいと私は思う。自分の仕事に置き換えて考える。なるほど私はウェブサイトを人並み以上に制作できる、コンピューターのハードウエアの知識もそこそこもちあわせている。けれどもこれらはいずれも「結果論」。必然もあるにせよ、ことコンピューターについては「わからない」からスタートした。

では自分のまわりをすべて「わからない」からスタートして「わかった」にたどりつけたかというとそうでもない。そこには「わからないからやらない」が伏流している。一事が万事ではなく、「わからない」を「方法」にできないときがある。

なぜ「わからない」を「方法」にできない?

単に「やらない」理由を自己正当化して逃避しているだけ。それらを除くと、自分が「わかっていない」と認識していなければならないわけで、それがなかなか難しい。好きな言葉でいえば「”そもそも”わからないって何だろう」と停滞してしまう。

「わからない」を「方法」にするために必要なものは、覚悟である。つまり、「”わからない”を”方法”にする方法」とは、「”わからない”を”方法”にする方法(かくご)」なのである。同P.27

ココだけ抜き出すと精神論のように受け取られるかも。そうではない。橋本治先生は「セーターの本」を書いたり「桃尻語訳枕草子」を出版した経緯にふれ、「わからない」を「方法」にする「方法(かくご)」を冷静に説いている。

平明か否かは私には判断できない。なにせ相変わらずの橋本治先生節。読んでる最中は腑に落ちて「そうそうそれが言いたかった」とぽんと膝を打っても、パタンと本を閉じたら頭に残像だけが残っている。蜃気楼。それがやがて錯覚だったかと思えるほど不思議な感覚に襲われる。

先日直木賞を受賞した三浦しをんさんが『三四郎はそれから門を出た』で同じようなコメントを残していたのを読んで、「ああ三浦しをんさんほどの天才がそうなのだから大丈夫だ」と安堵してしまった。

なにはともあれ、「わからない」から「わかった」までに至る「わかる」に興味をもっているかたにはおすすめ。

「わからない」ことが「恥」だった二十世紀は過ぎ去った!小説から編み物の本、古典の現代語訳から劇作・演出まで、ありとあらゆるジャンルで活躍する著者が、「なぜあなたはそんなにもいろんなことに手をだすのか?」という問いに対し、ついに答えた、「だってわからないから」。—かくして思考のダイナモは超高速で回転を始める。「自分は、どう、わからないか」「わかる、とは、どういうことなのか」…。そしてここに、「わからない」をあえて方法にする、目のくらむような知的冒険クルーズの本が成立したのである。同表紙