FIFAの裁定へ邪推

FIFAは「言葉」を封印して裁定した。それでよかったと私は思う。なぜか。少しまわり道の雑感。喧嘩両成敗のようなFIFAの裁定は欧州なら受け止めるか。白か黒かでないと気がすまないのかもしれない。イタリアはやや機嫌を損ねている(参照)。もちろんこれがマジョリティーかどうかはわからない。

これはスキャンダルだ。1人のカンピオーネ(偉大な選手の意味)を正当化しようとして、1人のイタリア人が犠牲になったんだ。ピッチ上でやってはいけないことをやったのは1人だけなのに

ピッチでは"侮蔑"ではなく挑発行為が駆け引きとして跋扈している。だから「やってはいけないのは1人」と認識しているようだ。イタリアではすでにプッターナで確定なのだろうか。朝日新聞のベタ記事にそんなやりとりがある(参照)。

大会MVPを取り消しにならなかったジダンと比べて重すぎる。選手が『プッターナ(売春婦)』と言うたびに罰金を取るなら、サッカー連盟は大金持ちになるだろう


プッターナはどうやらラテン系の国がよく使う侮辱表現らしい(参照)。日本語なら「お前の母ちゃんでべそ」に近い感覚のようだ。実際見聞したことがないし、どのような"表情"で口にするのかわからないから、日本人の私にはぴんとこない。それでもそうだと言うのなら、「そうか」としか受け止められない。が、問題はここではない。FIFAの裁定を耳にしたとき違和感が残った(参照)。

「両選手ともに極度のストレスの中で試合をしていて起こったことで、人種差別的な問題は認められなかった」(FIFA)と、世界中が関心を抱いていた問題はなかったというコメントも発表された。結局、双方が認めている家族を侮辱する内容の言葉だけで、それもマテラッツィが主張するように「イタリア人なら普通に使うレベル」のものだったようだ。世界中で悲劇の主人公となっていたジダンだが、やったことはあくまで暴力的行為であり、特別な理由は認められなかった。

裁定が下るまえ、マテラッツィにSPがつけられている(もしくはつける予定)と報じられた。それほど"やばい"状況にあったのか。あるいは念には念をとも考えられる。いずれにせよ狙われてもおかしくないような沸点だったかもしれない。これまでW杯では予期せぬ理由で人が死んだ。確かコロンビアでは選手が殺されたと記憶している。

以下、下品で下衆の勘ぐりだ。もし今回の発言にイスラム社会への侮蔑が含まれていたら、FIFAはそのまま公表するだろうか。その後に起きる事態も想像に難くない。何に配慮し何を優先したのか知るよしもないが、額面どおり受け取るか受け取らないかは自由だ。受け取らなかった私はというと、「その先はもう知らなくていいよ」とひさかたぶりに思った。