おっさんたちの喋りは日付変更線をこえる

昨日、大阪へゆく。F先生とウェブサイトの打ち合わせ。午後4時開始。まずは琵琶湖博物館の話(もちろん共通の前提がある)からアイスブレーク。そこから転じて渓流釣りへ移行し、自然へと広がり、コミニュケーションの「感度」に帰着する。構造主義から脱する次の思考の仕方は何かと、F先生は愚生に尋ねられる。もちろん答えを求められているのではない。「共通の疑問をもっている」のを確認しておられる。だから、すなおに「わからない」と返答する。濃密な時間。気がつけば6時を回っていた。「ホームページ」という単語が一言もでてこない「ウェブサイトの打ち合わせ」もめずらしい。わたくしに「よきにはからえ」という先生からのシグナルなのだろうと受信することにしておいた。

そのあとその場は研究会の会合へと様変わり。今回はわけあってわたくしも出席させていただいた。O先生が合流。はじめてお会いしたときから「波長が重なるかもしれない」とわたくしが勝手に感じていた。総勢8人。会合を観察。合意形成にいたる言葉と感情のキャッチボールに感嘆。みなさん診療後?にもかかわらず大阪-東京間をかけてぬけていく。無事終了。

その後F先生、O先生、Yさんといつものお店へ。前日の事情を耳にしていたので、本来ならばお断りするのが筋である。が、こういうシチュエーションで不快にさせずクールにお断りする知見をいまだ私はもちあわせていない。だから大人ではない。でもこのメンバーで酒を酌み交わさせてもらえればどのような会話になるのか容易に想像がつく。二つの感情が居座る。(大人になるまで)もう少し時間がかかるのかと後ろ髪ひかれる思いと、私が欲望する知への高揚感である。天秤にかけてどちらを選択するか迷えるほど冷静ではない。コドモはいつも高揚感があるほうを無意識的に選択する。その無軌道ぶりが許される(と私が勝手に思っている)からいつも幸せなのだと私は感じる。Yさんを除けば私がいちばん年下である。そしてどこの酒宴へ座らせてもらってもこの構造はかわらない。ディセンシーをこころがける。これほどありがたいことはない。それを気づいても時に忘れる。よほど心してかからないと勘違いする。

O先生は少し体調が芳しくないと小耳にはさんでいた。それでも「シンクセルさんが来てらっしゃるから少し顔をだします」とおっしゃっていただけるのを心底感謝する。そしてその空間を提供してくださったF先生にどれほど救われるかと頭をたれる。

乾杯。

「おっさんたちの喋り」がはじまった。あとはボルテージがあがっていく。内田樹先生のお話、コミュニケーションの感性、霊性論、WHOの健康観、そして南北問題と保健制度、ワーキングプア、夜クネからパペポTVまで、はては3分間スピーチ。F先生は深淵をのぞかせる質問をくりだし、同時に自らの言葉で経験を語る。O先生はどこまで欲望されているのか私には想像すらできない知を矢継ぎ早に投入する。私はというと先生方の叡智を前に愚見を言いたい放題。無尽蔵である(頭の中では自分が話している時間が多いとまた感じる。ひろがる質問がなかなか浮かばない。このあたりに私の課題が山積している)。Yさんにも伝わってほしい、そしてそのYさんが次の世代へ伝えほしいと願い、石炭をくべらせ舌を走らせる。

F先生とO先生との間にはお二人が共有している雰囲気が醸し出されていた。両先生にはさまれた私の興奮がいかばりかご想像いただけるであろう。その時、O先生が、「こうやって話ができること自体が幸せなんですよね」と口にされた。その時の私は望外といわずして何をいえよう。

今、あちこちに(構造的な)アイロニーが伏流している。それは「ワーキングプアを語るのが富裕層」であり、「失業問題を語るのが安定的地位の集団」であり、「教育問題を語るのが教育に携わっていないもの」である。それらを良い悪いで判断するのは短見だと思う。だからといって言い放しもいただけない。自分の「声」として確定させてコミットした時点で「問題意識」を持った。そしてそこから逃げずに何か行動できるまで(たとえ思いこみでもよい)涵養しつづけていくことが定型化させない自己を育む。自己否定の契機がはらんでいる。アイロニーに我が身を投じる私がそれらを認知しているかしていないかには千里の逕庭がある。

私は常に自分を定型化させたくない。そしてそれを可能にしてくれるのは私ではなく、F先生でありO先生である。京都にはM先生がいて、神戸にはO先生やK先生がいる。それをつながりと私はよぶ。つながりがあるから孤独を認識できる。自己を定型化させないためのつながりを醸成するのが「おっさんの喋り」である(と勝手に解釈している)。

そして終わりが来てほしくないと切望するコドモのわがままによって空間が支配され、おっさんたちの喋りは日付変更線をこえた。

ああ、ほんまたのしかったなぁ〜!!