妖精が歩く小道
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[REVIEW]: ハッピー・バースデイ

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『Yes・yes・yes』と同じ比留間久夫氏。Yesが男ならこっちは”女”。といっても女の子に生まれ変わりたい”女”。バンビこと亮と晃生の愛と性のおはなし。舞台はゲイバー。ほんとうに少女(適切な表現かわからないけど)になりたくて集まってくる少年たちは前作(Yes.yes.yes)と異種。だから、「ついてるもの」や「ついてないもの」をどうしようかと盛り上がる。シリコンやホルモンがとびかう。「人工の森」が支配する虚構の空間。

いつかは女の子に生まれかわりたい—少しずつ<男性>をうしなっていく少年バンビに訪れる、新しい愛と性のための、もうひとつの<誕生日>。誰も書かなかった愛のかたちに迫る。『ハッピー・バースデイ』

バンビは物心ついた時から不和を感じていた。自分であって自分でないような感じ。自分のなかにもう一人の自分がいる感じ。小学三年生のある日、「眠れぬ森の美女」のオーロラ姫に推薦されたのをきっかけに、自分のなかに宿る「不和」が形となって表出する。

「なぜ私は男の子なのだろう?」

中学になると自分のような存在を「オカマ」と呼ぶと知る。晃生との出会い。恋。やがてバンビは少しずつ「男」を失おうと努力。やがて「女」になろうと揺れ動く。その傍らでどんどん変わっていくバンビにとまどう晃生。今のままでいいとつぶやく晃生をふりきりたくてもふりきれないバンビ。

学生のとき、すうっと読んでしまった自分に驚いた。あまり抵抗感なく。こういった恋愛もあるんだぁと。ビュアやん。でも今は違う。やっぱり何か曇っている。歳をかさねて得てきた知識が固定観念をつくってしまっている。100%認めていた気持ちから、80:20になり50:50になりやがて逆転するのかもしれない。そう思う私もまた私なのだと認めなくてはいけない。

それにしても村上龍の『エクスタシー』,『タナトス』,『メランコリア』ほどでないにしても、なぜ性の快楽はドラッグとリンクするのだろう。Yes.yes.yesでもクスリが物語をわずかに染めた。それを掬うのと手にすらとらないのとになんの差異があるのか。異質が体内に侵入して快楽へと変換される工程を想像力で描写する。快楽のシミュレーション。

少しハッピー・バースデイから逸れた。これもパラパラめくる。いつものようにいくつかの頁に折り目がついている。そこに目が止まった。

「いいかい、バンビ。虚栄とか虚飾を空しいものだと決めつけて、それを愛せないような人間は、きっと一生かかっても墓場に入っても幸福になれないよ。いいかい、わたしに言わせれば物質が人間を美しく変えていくんだ。言い換えれば、身に余るほどの贅沢と数え切れないほどの無駄を愛する心がね。ほら、人はよくクレオパトラが生まれながらにして絶世の美女だったかのように思っているだろう?でもわたしに言わせればクレオパトラは自分の力で絶世の美女になったんだよ。わかるかい?[…]つまりね、人生の真理は、その人間がどのぐらい、人生の空虚を愛せる、心の贅沢を、持っていたかってことなんだ。いいかい、物質を愛するってことはそういうことなんだよ」同P.36

折り目をおった過去の私に聞きたい。「何が響いたのかね、教えてほしい」

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