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[Review]: 日本破産を生き残ろう

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私は、最近の日本社会の停滞の最大の原因は、人びとの想像力の貧困さにあると思います。とくに人びとのコミュニケーションでそれを感じます。雑談、会議、メール、赤提灯、どこも「情報」と「感情」の羅列だけで「こうにちがいない」「こうなるはず」という「推理」と「想像」が聞かれることはまれです。間違いを恐れて想像をしないのです。これが想像力枯渇の最大原因だと思います。[…]日常的次元では、人の気持ち、考えを即座に読み取る態度、習慣です。これは注意力、記憶、推理力を総動員した知的努力で、間違えば相当痛い思いをするゲームですから、想像力を養うのにいちばんよい訓練です。

『日本破産を生き残ろう』 西村 肇 P.68

日本破産を生き残ろう

「教育」はeducation(edu-cation)の訳語、ラテン語からきている。意味は「外へ引き出す」であって、「教え込む」じゃない。じゃぁ何を引き出すの? 問われている。近年、「創造力や独創力をつけよう」と教育する。人から習わずに何かをやるのが創造なのに、「習わないこと」をどう教えるつもりなのか。「創造力」よりも「想像力」が必要。

日本では、知的エリートは、国家枢要の人物として養成されてきた。本来は別であるべき、知的権威と世間的権威が、一体のものとなっている。その結果、最高の地位と名誉をめざし、他人を踏みつけても階段を駈けのぼるのが、エリートたちの、変わらぬ生き方となっている。[…]「知的エリートは本来、社会のあらゆるところで、知的に、明るく輝く燈であり、地の塩である。社会はそういう人を必要とする」という考えが、いま新たに、日本社会の中で、確立される必要がある。同P.30

知的権威と世間的権威が一体となった人たちが跋扈する。世間的権威だけの人もいるかもしれない。そんなことは大衆のひとりとしてどうでもよい。興味があるのはかつての国民は「知的エリート」と「ノーブレス・オブリージュ」をどう受け止めたのかということ。エリートは選良。選ばれるからには頭がよい(はず)。

が、頭がよいだけでなく、というか「よい」こと以上に身分の位に応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務が求められる(と思う)。それを明治は求めていたのか、それとも知的エリートは自覚していたのか。

平等がもたらした判断の停止。

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