歯界展望 メインテナンス・ルネッサンス

「歯界展望 メインテナンス・ルネッサンス -今こそメインテナンスを日本の常識に」を読了。ひとりの患者(=来院者)として次の二つを愚考した。

  1. 「なぜ歯を失わないのか?」という問いが自ら発せられるようになるには?
  2. 「治療が歯科医の仕事のほんの一部になったら先生は何をしてくれるか?」ということを来院者が明確にイメージできるようになるには?

1.はどういうことか?

本書によると、スウェーデン・バルムランド州のカールスタードという人口10万人ほどの小都市では、1970年代からメインテナンスを導入した患者のデータを残している。

この地域の住人は世界で最も早い段階からメインテナンスの恩恵を受け、この30年間の平均喪失歯数はたったの0.4本である。

この数字のもつ意味を私はごくごくわずかだけ理解できる。ここで私は、他の来院者の方々ならどういう反応をするのかに興味をもった。私はというと、うかつにも数字に目を奪われてしまい、「なぜ歯を失わないのか?」という問いを立てられなかった。数字に驚いたのち、しばらくしてから問いがやってきた。

定期健診(あえて"検診"にしない)に来院している人と、「定期健診って何をするのですか?」という人が、この数字を前にしたとき、意味のとらまえ方について千里の径庭があるかもしれない。しかし、私はとらまえ方よりも、「なぜ30年間で0.4本程度しか歯を失わないのか?」という問いを自ら立てられるかどうかが肝要だと思う。

そして、そう愚考する私は、自ら問いを立てられるように来院者の環境構築を支援していってほしいと医療者側にのぞむ。なぜなら、この問いが、やがて、

  • 歯を失わないとは一体どういうことなのか?
  • 生涯自分の歯で過ごせることにどんな意味があるのか?
  • でも歯を失ったらどうなるのだろう?

といった問いが生まれてくると愚考するから。ひょっとすると、生まれるよりも医療者の手によってそれらに導かれるのかもしれない。さらに問いが「健康とは何か?」ヘ拡散し、「何のために健康であるのか?」と「別に健康でなくてもいいとしたら?」の両極端をさまよう。そして、長い年月を経て心と身体の均衡が保てるように収斂していくと愚考する。その長い年月の傍らに「存在」するのが医療のプロフェッショナルの方々であってほしいと私は望む。

一度この問いを自ら発したら、「答え」はないと思う。だから不安と満足の間を往来する。

愚考に愚考を重ねて厚顔無恥をさらすと、その往来を傍観しつづけてくれる人を探すのが私(=来院者)の役割なのだと思う。それは「医療技術」をショッピングするのではない。「感と観」を求めるのだと思う。医療技術を探すのは自己責任かもしれないが、感と観を求めるのは自由ではないだろうか。

そして思う。「感と観」を求めるのに成功も失敗もなく、ただあるのは修養の先に感じる共鳴なのだと。

次回は2.について愚考します。