本が呼んでくれない

本屋へゆく。書棚に所狭しと整頓された本を眺めながらそぞろ歩く。今までなら「あっ」と思って足を止めることがあった。無意識に頭の片隅へ置いている問題のヒントとなるような表題に反応したからおそらく意識化されたのだろうと愚考している。それを「本が呼ぶ」と私は勝手に得心している。

が、最近、呼んでくれない。かといって本を読む量的感覚が消失したわけでもない。質的感覚の問題か。わからない。粛々と高く積み上げられた積ん読書を減らすべく勤しんでいる。しかし、何かが足りない。「無知の知」を自覚し、「私が知らない知」のスタートラインに立つことを渇望している。他方、「知識とは何だろう?」と首をかしげる。

全体の枠組みをとらえるために読みこなしていた読み方ができない。意味が咀嚼できない部分も、まずは森を俯瞰しようと思い、読み飛ばしていた。それからもう一度、自分が立ち止まった木にもどって進む道を吟味していた。それができない。なぜなら、「単語」につまるようになってきた。「知識」「知性」「常識」「存在」「善悪」…..眼前の文字が今までとは違う様相を呈している。だから、一語一語に反応してしまう。「○○って何だろう?」

だから進むようで進まない。苛立つ。それを繰り返す日々が続く。何か自分の振るまいが間違っているような気がしてならない。

本を読む本

本を読む本