雨が降る前にノアの箱舟を造ったのさ

スパイ・ゲーム

スパイ・ゲーム古畑任三郎 2nd season DVD-BOXの「VS 春峯堂のご主人(澤村藤十郎)」は軽く両手を超えて視ている。独断すると両者には共通項がある。それが「捨て目が効く」。あらゆるものを見逃さない視線。視線の礎は観察力。スパイ・ゲームのカメラフレームをひとつもおろそかにできない。Nathan Muir(=Robert Redford)が視ている視界の隅々を、目線と目線の先を交差して強調する。なるほど、そんなところを視ているのか。そして台詞がいい。一番好きなのは、

Gladys Jennip: Feeling a little paranoid on our last day?
Nathan Muir: When did Noah build the ark Gladys? Before the rain.

雨が降ってからではない。雨が降る前、置換するならトラブルが起こる前だよってさりげなく伝えている。そして、それを「paranoid」にひっかけている。

スパイ・ゲームの醍醐味は他にもある。心理状態。Nathan Muirは随所で「言葉による仕掛け」を相手に投げかける。うまく説明できないけど、とにかく相手の心理状態を巧みに利用して、言葉を投げかける。相手は見事に先を打たれる。あとで気づく。

ちょうど内田樹先生が書籍で取り上げているので拝借。

『スパイゲーム』はこの「アセット」との信頼関係を国益よりも優先させるスパイの物語でした。ブラピは中国官憲に囚われて、広州の牢獄に幽閉されてしまいます。捉えられたスパイを見捨てることをCIA首脳は決定するのですが、ロバート・レッドフォードは彼自身がリクルートしてスパイに仕立てたプラピを奪還しようと、他の「アセット」たちを駆使して、驚くべき作戦を立てるのです….。東京ファイティングキッズ・リターン P.137

Nathan Muirの行為は論理的に「倒錯」していると先生は指摘する。この映画は人間的コミュニケーション活動の根本にある「倒錯」を描いているけど、この「倒錯」を私たちは自然に受け入れているのではないかというわけです。

国家的大儀のためのスパイ活動であるはずなのに、スパイとアセットのあいだの「絆」を護ることがそれよりも優先するというのは「公務員としてのスパイ」にあってはならない重大な就業規則違反です。でも、映画を見ているぼくたちは、この「倒錯」をむしろ人性の自然であると感じています。同P.137

指摘のとおり「倒錯」している。しかし、私は「倒錯」の構造がわかっても、それがなぜ人間的コミュニケーション活動の根本にあるのかわからない。だから、飽きもせず何度も何度も視る。つくづく嘆く。ほんと頭が悪いのは損だ。