コンタクトレンズと一億総学力低下時代

診療報酬の水増し請求しているコンタクトレンズ診療所がある。水増しの合計額は年間で600億円規模になるそうだ。その市場に名義を貸している医師がいる。行政の指導・監査の強化と医師の副収入—–ツケはどこに回されるのだろう?

上の3本の記事を眺めると、耐震偽装と同じ構図だと映った。少し乱暴だとは思うけど。一級建築士と指定確認検査機関、医師と社会保険事務局。前者は民間、後者は行政。情理を尽くして説けるような知見を私はもっていない。だから何が何だかよくわからない。検査・監査する側の量的業務が問題なのか。だとしたら物理的なソリューションを求められるわけで、手段はある(と思う)。しかし違うのだろう。「根本」は何なのか?

暴論を承知で類比すると、600億円のコストカットができれば、夕張市の住民に「日本で最も最低な生活と行政サービス」を要請する必要がなくなる。

これが一億総学力低下時代の結果なのだろうか?

「自分のパフォーマンスを上げる」ことと「他人のパフォーマンスを下げる」ことでは、どちらが多くの努力を要するか?これも考えるまでもない。自分が勉強するより、競争相手の勉強を邪魔する方がはるかに簡単である。だから、閉じられた集団で競争させれば、全員が「他人のパフォーマンスを低下させること」にリソースを優先的に配分するようになる。 内田樹の研究室「一億総学力低下時代」

そしてこの結果をもたらしたのが、私なのである。であるならば、下記の「子どもたちの学力低下」に「社会保障費の増大」という言葉を挿入したとき、私は何を自己点検すればよいのだろうか?

子どもたちの学力低下について「誰の責任だ」と凄んでみせる資格のある人間は日本には一人もいない。私たちはこの点については全員同罪である。それゆえ、まず自分自身がそれと知らずにどのように「子どもたちの学力低下」に加担しているのか、その自己点検から始める他ないだろうと思う。「根本的な議論」はそこからしか始まらない。