公園の雑草

[Review]: メメント・モリ

メメント・モリ

衝撃。「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」の意味がわたしにはわからない。ただ呆然とした。書評どころか言葉がみつからない。

書名の『メメント・モリ』とは、「死を想え」という意味で、ヨーロッパ中世末期にさかんに使われたラテン語の宗教用語だ。この本には、著者の短いコメントが付けられた74枚のオールカラー写真が収められ、生の光景に潜む無限の死の様相が極彩色で提示されている。[…]大河のほとりで遺体の野焼きをしている光景には、「ニンゲンの体の大部分を占める水は、水蒸気となって空に立ち昇る。それは、雨の一部となって誰かの肩に降りかかるかもしれない。何パーセントかの脂肪は土にしたたり、焼け落ちた炭素は土に栄養を与えて、マリーゴールドの花を咲かせ、カリフラワーをそだてるかもしれない」と、少し長めのコメントが付けられている。

『メメント・モリ』 藤原 新也

表紙をめくると、「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」といきなり殴られた。なんだこれは?!。そして、「いのち、が見えない。生きていることの中心(コア)がなくなって…..」から始まる短いテキストが現れる。心の深淵を覗き見したような気分。一言一句なにもわからない。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」

“自由”とは一体何なんだという問いの前に、「現実」が眼前に映る。写真には、捨てられたヒトの死体を野犬が貪るように喰らっている。その様子をカラスが次はオレたちの番だといわんばかり遠巻きにしている光景。絵ではない。現実。

「歩いていると墓場を巡っている気分になる街がある。そんな街の住人は、死人のようにやさしくて、めんこい」

言葉には意味がある(と思う)。しかし、言葉の意味に「正しい」はない(と思う)。まったくわからない写真とテキストに囲まれて、”それ”だけがわかった。ここに現れる「言葉」の意味は私が知っている意味とはかけ離れている。

「なぜここでこの言葉が浮かんだのか?」

ページを繰る度、この質問が浮かばなかったことは一度もない。